2022年2月2日、水戸京成ホテルにおいて、「令和4年茨城産業人クラブ新春経済講演会」が模様された。挨拶は以下の通りです。
「茨城産業人クラブ会長の高橋でございます。皆様、新年あけましておめでとうございます。
本日はご多忙の中、またオミクロン株の拡大という難しい状況の中、令和4年 茨城産業人クラブ
新春講演会にご臨席、ならびにオンラインでのご視聴、誠にありがとうございます。
また、関係機関の皆様には日頃よりご支援、ご協力を賜り、改めて厚く御礼申し上げます。
年頭にあたり、一言ご挨拶を申し上げたいと思います。
昨年を振り返りますと、新型コロナウイルス感染症の拡大が長期化し、ワクチン接種が進んだとはいえ、一昨年に続き日々の暮らしや経済活動が大きく制限を受けた一年でした。
東京都では年初からの9ヵ月間のうち、実に8ヵ月弱が緊急事態宣言下という厳しい状況であり、隣接する茨城県でも「まん延防止・緊急事態宣言・その後の経過措置期間」と飲食や宿泊などサービス分野を中心に大変厳しい状況が続きました。
一方、輸出が堅調に推移するなど、日本経済を下支えしていた製造業ですが、半導体を中心に部品や原材料の不足、価格の上昇という問題に直面しました。新興国での感染拡大によるサプライチェーンの目詰まりも相まって、自動車や産業機器、家電など多くの業界が堅調な受注にもかかわらず、製品が製造出来ない・または減産対応を強いられました。皆様の中にも『1つの部材が足りない為、製品が完成しない』といった事態に見舞われた企業があったのではないでしょうか。
私共の会社が属している建設機械業界は、昨年、すべての地域の需要が完全に回復してきました。しかし中国での油圧ショベルの需要は過去最高であるものの、日本勢は中国勢の価格攻勢に苦戦した一年でした。2022年の世界需要は全体として底堅く推移するものの、中国の需要を取り込めない等の問題は残ります。しかし日本勢は、世界の大部分の地域でのインフラ投資や資源価格の上昇による鉱山機械の需要を取り込んでいくと予想されております。
また2021年はサステナビリティー重視の姿勢が明確に打ち出された年でもありました。130を超える国がカーボンニュートラルを宣言する中、グローバルに展開する企業を中心に、民間でも脱炭素に向けた取り組みが急速に広がりました。
大手企業がサプライヤーにSDGsに対応した取り組みを求める動きが広がっていますが、地域の環境に根差し、ともに発展してきた中小企業こそ、持続的な環境の維持に取り組む意義が大きいと考えます。
2022年は世界が脱炭素やDXなど新たな経済社会への進化を加速させる中で、我々企業経営者も自社がポストコロナの新たな経済社会に向けて進化し、自立的な成長を遂げることが出来るのか、「実力」が問われる年となりそうです。
本日の経済講演では日本国際問題研究所
客員研究員の津上俊哉様に「2022年の中国経済、米中・日中関係の行方」と題しご講演をいただきます。
間もなく北京で冬季オリンピックが開幕する中国ですが、ゼロ・コロナ政策や恒大集団に代表される過剰債務問題など、世界が注視する問題についてお伺い出来る、大変貴重な機会となっております。
最後になりますが、本日お集まりの皆様のご健勝と、茨城県経済のさらなる発展を祈念して、ご挨拶とさせていただきます。ありがとうございました。 」
今年の抱負は・・・
大洗ゴルフ倶楽部より2022年の寅年生まれのメンバーに「今年の抱負は・・」と云う表題で依頼を受けた。以下寄稿した内容をブログに載せることにした。
明けましておめでとうございます。
昨年はグランドシニア選手権で優勝しました。二日目の決勝ラウンドでは13番で1打差を追う展開でしたが、15番で追いつき、16番で逆転することが出来ました。明暗を分けたのは14番で5mを沈め、バーディーを取ることが出来たことです。このホールトップのTさんはホールインワンでしたが、2打差のままで済みました。その後15~18番まで1アンダーで回り76でホールアウトしました。
大洗ゴルフ倶楽部との関わりは58歳の時、友人に勧められて入会しました。59歳までは月に一回程度しかゴルフをしていませんでしたが、60歳から週1回、65歳から週2回するようになり、この年にハンデが9になりました。ゴルフライフを楽しみ、リタイヤ後の人生を有意義に過ごすことが出来るのも、大洗ゴルフ倶楽部の戦略性に富んだコースのおかげです。
今年の抱負はグランドシニア選手権2連覇とメンバーの方々と楽しくゴルフをすること、もう一つの抱負は旧中山道を歩いて旅すること(日本橋から540km約14日の旅)です。昨年、4月25日に東海道53次約500kmを一人で歩きました。日本橋を出発し戸塚宿、小田原宿、三島宿、由比宿、岡部宿、掛川宿、舞阪宿、御油宿、知立宿、桑名宿、亀山宿、石部宿、京都の三条大橋を12日半の道のりでした。この旅を思いついたのも大洗ゴルフ倶楽部で歩いてプレーするゴルフ本来のスタイルで足腰が丈夫になったおかげだと思います。
茨城県経営者協会は、昭和22年7月に県内の経営者を中心に組織し、企業経営の安定と労使関係の正常化、勤労者の福祉増進をめざして事業活動を展開し、時代環境の変換とともに活動領域を広め、地域社会に期待させる役割を果たすべく、地域の総合的経済団体としての基盤を固めながら、県内経済界の合意形成に努め、県行政の政策形成に積極的に参画して来た経済団体です。私は副会長就任し、10年目を迎えました。毎年1月の新年号に会長・副会長の挨拶を寄稿するのが恒例になっています。今回は私事の体験談を寄稿しました。
茨城県経営者協会は、昭和22年7月に県内の経営者を中心に組織し、企業経営の安定と労使関係の正常化、勤労者の福祉増進をめざして事業活動を展開し、時代環境の変換とともに活動領域を広め、地域社会に期待させる役割を果たすべく、地域の総合的経済団体としての基盤を固めながら、県内経済界の合意形成に努め、県行政の政策形成に積極的に参画して来た経済団体です。私は副会長就任し、10年目を迎えました。毎年1月の新年号に会長・副会長の挨拶を寄稿するのが恒例になっています。今回は私事の体験談を寄稿しました。
新年あけましておめでとうございます。
昨年、緊急事態宣言下の4月25日から5月7日にかけて、一人で東海道五十三次を歩いて旅してきた。日本橋を朝4時に出発し、銀座1丁目から8丁目を通り、品川宿、神奈川宿、保土ヶ谷宿を経て42km戸塚宿に到着。2日目は藤沢宿、平塚宿、大磯宿を経て小田原宿まで41km、7㎏のリュックを背負い、二日続けて40㎞以上を歩くのは初体験だが、10時間かけて到着した。3日目は小田原宿を5時に出発、箱根の旧街道を5時間かけて登り、三島宿まで36km。4日目は沼津宿、原宿、吉原宿、蒲原宿を経て由比宿まで35kmで体も慣れてきた。5日目は本来なら興津宿、江尻宿、府中宿、丸子宿を経て岡部宿に行くのだが、大雨のため、歩くのを断念し電車とバスを乗り継いだ。6日目は藤枝宿、島田宿、大井川を渡り金谷宿、日坂宿、掛川宿まで36kmだが、途中住宅地に入り、旧道の道が分からなくなり迷子になった。旧街道の絵地図とグーグルナビを使ったが、ナビは進行方向に道が示されないので、自分の位置が分からなくなる。7日目は袋井宿、見附宿、浜松宿を経て舞阪宿まで36km、途中雨に降られ難儀した。8日目は新居宿、白須賀宿、二川宿、吉田宿を経て、街道風情をたたえる国の天然記念物の松並木が残る御油宿まで42km、9日目は赤坂宿、藤川宿、徳川家康の居城があった岡崎宿を経て愛知県の知立宿まで37km。10日目は鳴海宿、宮宿、桑名宿まで43km、江戸時代は宮宿の「七里の渡し」から船で桑名宿まで行くのだが、現在は船がないので、木曽川を渡り中州を横断し、長良川・揖斐川の橋を渡り熱田神宮手前を左に曲がり、桑名宿に行った。11日目は三重県の四日市宿、石薬師宿、庄野宿を経て、亀山宿まで37km。12日目は関宿、坂下宿、水口宿、石部宿まで43km。関宿には江戸時代にタイムスリップした街並みが東西2kmに渡って続いていた。13日目は草津宿、大津宿そしてゴールの京都三条大橋だ。午後から雨の予報なので、4時に出発し正午前に到着。今年は旧中山道540kmへの挑戦だ。
五回上洛したが、京都に出入りする折には、この銅像の姿のように京都御所に向かって拝礼した」と云う。しばし足を止めて、碑文を読み、最後に明治維新を成就した勤王の志士たちは彦九郎を心の鑑と仰いだとの一文が往時の武士の気概を表している。三条大橋から記念写真を撮ろうと通行人を探したが、 非常事態宣言下では通行人は見当たらなかった。河原に降りて、散策を楽しんでいたが、まもなく雨が降り出した。71歳の挑戦は終わった。
東海道五十三次を徒歩でゴールした充実感は言葉に表すことが出来ない。60歳のとき、初めて挑戦したホノルルマラソン(42.195km)でゴールした時の充実感と同じ感覚だ。当初、江戸時代の人に出来て、現代の自分が出来ないことはないと思っていた。た。しかし当時の人は草鞋を履いていたが、私は超距離を歩くシューズ・靴下を使用したので、足の疲労は格段に違う。もし私が草鞋を履いていたら、1日で小田原宿から三島宿まで行けなかった。まして足場の悪い箱根越えを半日で、芦ノ湖まで行くことはできなかっただろう。新幹線の中で旅日記をまとめている時、大井川の橋にさしかかった。わずかな時間で橋を渡った。それもあっという間だ。私は大井川の橋を渡るのに、20分近くかかったことを思えば、現代人と江戸時代の人の時間の流れが、これほど大きく違うことが、物事を考える上でどのような違いが生まれるのだろうと思考した。24歳の時、茨城工場を立ち上げるため、東京から赴任した。従業員は自分も含めて4人が最初の出発だ。毎日、睡眠時間を削って、現場での作業後、トラックを運転してお客様の工場への納品作業、21時過ぎに工場に到着するので、守衛に門を開けてもらい、誰もいない入荷場に部品を置き、帰るのは午前0時。トラックを運転しながら、将来の会社のあり方を夢想していた。その反動で時間に追われない東海道五十三次を歩いて旅することにした。そして71歳の挑戦だ。
13日目5月7日金曜日 石部宿出発
朝、3時に起床。天気予報を再確認したが、京都の天気は午後から降水確率が高く降水量も多いので、リュックにある雨具類や下着類をホテルのゴミ箱に処分し、身を軽くして早歩きで 行こうと、5時出発を1時間早め4時に出発し、ゴールの京都三条大橋には昼前に到着する計画に変更した。道順も草津宿、瀬田の唐橋、大津宿、三条大橋の予定を、南草津駅を過ぎたあたりから、近江大橋に向かい近道のルートを取った。瀬田の唐橋は東海道五十三次でも有名な橋なので、行きたかったが、昼前に到着しないと雨に降られる可能性が高いので、あきらめた。距離は35km、12時前には間違いなく到着する。
この庄野宿は歌川広重の東海道五十三次の傑作「庄野の白雨」の舞台だそうだ。亀山には予定の12時に着きそうだ。亀山宿は町を見下ろす亀山城跡があり、おもむきのある町並みが続く。12時半にホテル近くのファミレスで昼食を取り、チェックインにはまだ早いと思い、時間調整を行い1時30分にホテルに行き、チェックインを行うため、フロントに行った。しかしチェックインは3時からだと言われ、早く部屋に入れるように交渉したが、断られた。事情を話して足がくたびれているので、再交渉したが、だめだった。仕方なくロビーのソファーで休んで、3時になるまで待つことにした。すると20分位してからフロントの女性が1時間1,000円の割増料金を支払えば、部屋に入れますと云われ、結局1時間10分の割り増しで、2,000円を支払ったが、約8時間超雨の中を歩いて、疲れていたので2,000円と休みたいとの価値を考えたら、早く休みたい方が優先する。「もっと先に言ってよ」と、思わず口から出そうになった。ようやく部屋に入り、足のケアーを行い、体を温めて2時間ほど横になった。6時近くのファミレスで夕食を取り、コンビニで翌日の朝食おにぎり、サンドイッチ、野菜ジュースと水とスポーツドリンクをそれぞれ1本購入した。部屋に戻り翌日の道順と天気予報を確認した。明日は亀山宿まで43㎞所用時間約10時間、最後の難関鈴鹿峠を越えなくてはならない長距離だ。頑張るぞ。9時に就寝。
桑名は慶長6年(1601年)に藩主となった本田忠勝が整備した城下町で、現在は九華公園となっている桑名城跡がある。今日の宿泊地は桑名駅近くのビジネスホテル「桑名グリーンホテル」に午後5時前に着いた。およそ10時間かかったが、すぐに足を冷やして、シャワーを浴び、汗を洗い流した。食事の店の案内図をホテルのフロントで手に入れ、目指すは桑名名物の桑名の焼き蛤だ。