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中山道六十九次旅日記 前日日程表

昨年の東海道五十三次を歩いて旅した時は、リュックの重量が7kgになったので、大変苦労した。前回を反省して今回は重量を半分にした。

48日金曜日午後4時半東京駅に着き、昨年と同じホテルにチェックインした。夕食は前から予約をしていた焼き肉店へ、行こうとホテルを出たときに、トラブル発生、スマホの画面が切れている。何度か電源を入れる試みをしたが、起動できない。このスマホに中山道の旅の予定表、宿泊旅館、中山道の通過ポイントを記したグーグルマップのナビがはいっている。使用できないと翌日からの旅に支障が出てしまう。ドコモショップを探して東京駅八重洲口に向った。幸い量販店の中にドコモのコーナーがあったので、起動できるようにお願いした。店員さんが何度か試したが起動しないので、新しいスマホに買い替えると申し入れをした。しかし量販店ではデータのコピーは受けられないと言われ、困ってしまった。明日から中山道を14日間かけて、京都に行く事情を話したところ、一部のデータが破損してしまう恐れがあるが、強制的に起動する方法があると言われた。データが破損しても苦情は言わない約束で、強制的に起動をさせた。うまくいった。後で確認したが、データも維持できていた。

今回の中山道六十九次の旅には、友人3人が途中の行程を一緒に歩くことになっている。明日は日本橋から桶川宿の北本まで48kmの道のりだ。東海道の時は旧道を歩くつもりが何度か迷子になったので、絵地図から旧道をいくつかの地点に分けて、ナビを主体にして旧道に記されている場所を登録した。

 

中山道六十九次日程表(202249日~4月22日)

49()  1日目 日本橋出発5:00「田部井さんと合流」

東大赤門⇒とげぬき地蔵(高岩寺)⇒志村一里塚辻一里塚跡碑(蕨宿)⇒さいたま新都心駅(大宮宿)⇒上尾駅(上尾宿)⇒桶川宿47㎞ 到着予定時間1630分 宿泊先 ザ・セレクトン北本駅前 


410()  2日目 桶川宿 ザ・セレクトン北本駅前 出発600

箕田氷川八幡神社(鴻巣宿)⇒吹上神社(鴻巣宿)⇒八木崎百貨店(熊谷宿)⇒深谷市役所(深谷宿)⇒滝岡橋(深谷宿)⇒本庄宿42km 到着予定時間1500分 宿泊先 ホテル本庄 


411() 3日目 本庄宿  ホテル本庄 出発600

陽雲寺(新町宿)⇒岡醤油醸造(高崎宿)⇒君が代橋(高崎宿)⇒鷹之巣橋(板鼻宿)⇒安中宿39km 到着予定時間1500分 宿泊先 ビジネスホテル宝泉 

 

412()4日目 安中宿 ビジネスホテル宝泉 出発600

補陀寺(松井田宿)⇒碓井神社信越本線横川駅「大橋さん・田部井さん合流820分」碓井関所跡(坂本宿)⇒山中茶屋跡旧碓氷峠遊覧歩道沓掛宿32km 到着予定時間1430分 宿泊先 あさぎり荘 

 

413() 5日目 沓掛宿  あさぎり荘 出発600

御代田一里塚跡(小田井宿)⇒住吉神社(岩村田宿)⇒相生の松(塩名田宿)⇒駒形神社(塩名田宿)⇒中津橋(塩名田宿)⇒大友神社(望月宿)⇒金丸土屋旅館(芦田宿)⇒松尾神社(長久保宿)⇒和田宿40km 到着予定時間1530分  宿泊先 民宿みや

414() 6日目 和田宿 民宿みや 出発700

鍛冶足一里塚跡(和田宿)⇒男女倉口(和田宿)⇒広原一里塚跡和田峠(古峠)⇒西餅屋茶屋跡水戸浪士の墓木落し坂諏訪大社下社春宮下諏訪宿29㎞ 到着予定時間1630   宿泊先 鉄鉱泉本館

 

415() 7日目 下諏訪宿 鉄鉱泉本館 出発600

下諏訪宿今井番所⇒塩尻峠展望台⇒東山一里塚(塩尻宿)⇒犬飼の清水(塩尻宿)⇒堀内家住宅(塩尻宿)⇒平出一里塚(塩尻宿)⇒牧野一里塚(洗馬宿)⇒日出塩一里塚(本山宿)⇒ 奈良井宿 40km 到着予定時間1530分  宿泊先 民宿しまだ

 

416() 8日目 奈良井宿 民宿しまだ 出発700分「大橋さん合流」

鳥居峠御岳神社⇒藪原駅(薮原宿)⇒義仲舘(宮ノ越宿)⇒中山道中間点の碑出尻一里塚碑跡⇒木曽福島役場(福島宿)(大橋さん宿泊)⇒上松町役場(上松宿)⇒須原駅(須原宿) 42km 到着予定時間1600分時 宿泊先 民宿すはら

 

417() 9日目 須原宿 民宿すはら 出発700

天長院(須原宿)⇒下在郷一里塚十二兼駅(大橋さん合流)⇒脇本陣奥谷(妻籠宿)⇒馬籠峠陣場上展望台(馬籠宿)⇒馬籠脇本陣資料館(大橋さん帰宅)⇒新茶屋の一里塚跡与坂立場茶屋跡(落合宿)⇒小石塚立場(中津川宿)⇒甚平坂公園(大井宿)⇒恵那宿39km 到着予定時間1600分 宿泊先 ホテルルートイン恵那

 

418() 10日目 恵那宿 ルートイン恵那 出発600

慎ケ根一里塚⇒権現山一里(大湫宿)⇒八瀬沢一里塚秋葉坂の三尊石窟(細久手宿)⇒山内嘉助屋敷跡和泉式部廟所(御岳宿)⇒一本松公園(伏見宿)⇒太田宿43km 到着予定時間1600  宿泊先 ホテルルートイン可児

 

419() 11日目 太田宿 ホテルルートイン可児 出発600

太田の渡し跡⇒中山道鵜沼宿町屋館(鵜沼宿)⇒新加納一里塚本田代官所跡美江寺宿(美江寺駅)42km 到着予定時間1530分 

美江寺駅発1552(樽見線大垣行) 大垣駅1606分着 徒歩3分 宿泊先 コンフォートイン大垣(到着予定時間1610)

 

420() 12日目 コンフォートイン大垣 出発6時 大垣駅621分発 美江寺駅634分着 美江寺宿(美江寺駅)出発640

馬淵家長屋門⇒垂井一里塚(垂井宿)⇒柏原一里塚跡醒ヶ井駅(醒ヶ井宿)⇒鳥居本駅(鳥居本宿)⇒彦根駅46km 到着予定時間 1715分 宿泊先 コンフォート彦根 (松本さんとホテルで合流)

 

421() 13日目 鳥居本宿 ホテルコンフォート彦根 出発 600分「松本さん合流」 岩清水神社⇒石畑一里塚⇒御幸橋(愛知川)⇒奥石神社義経元服の地森山37㎞ 到着予定時間1530分 宿泊先 セントラル野洲 

 

422() 14日目 守山宿 セントラル野洲 出発500

今宿一里塚⇒本陣(草津宿)⇒瀬田唐橋大津事件の石碑逢坂山関址碑⇒逢坂山関址碑⇒山科駅前⇒三条大橋35km 到着予定時間1300

 

京都駅 1433分発 ひかり 654

東京駅 1712分着 

東京駅 1736分発 やまびこ405

小山駅 1817分着

小山駅 1838分発 水戸線 

新治駅1908分着 

中山道六十九次旅日記(2022年4月9日~4月22日)

まえがき

2021471歳の時、東海道五十三次を日本橋から京都三条大橋まで1213日の日程で歩いて旧街道を旅した。三条大橋に到着した時の充実感・達成感は脳に焼き付いている。旅日記をまとめ終わり、翌年も歩いて旅をしたい思いに駆られ、京都までの旅程で東海道と対をなす中山道に決めた。中山道はもともと古代・中世の東山道を受け継ぐ道だったが、関ヶ原の戦いの翌年、慶長6(1601)から7年かけ、江戸幕府によって、五街道の一つとして大きく整備された街道だ。

中山道は日本橋から武州、上州、信濃、木曽、美濃、近江を得て京都三条大橋約534kmで、東海道よりも約40km長い道程だ。現在の都道府県で云うと東京都(日本橋)、埼玉県、群馬県、長野県、岐阜県、滋賀県、京都府(三条大橋)になる。中山道は東海道に比べ、山岳地帯を進むため難所も多く、冬は雪に見舞われる過酷な道だという。しかし東海道よりも川の障害がすくないのが利点で、特に女性は中山道を利用することが多かったというが、東海道の難所箱根の標高は約850mに対して、中山道の最初の難所は碓氷峠1200m、第二の難所は1600mの和田峠。そして7つの峠があるといわれている木曽路は、女性にとって大変な道程と言わざるを得ない。江戸時代の1日に歩く距離は男性で10(40km)、女性で8(32km)と記されている。中山道は京都から日本橋に向かうときは、下諏訪から和田峠に登る方が急斜面で最大の難所になる。逆に碓氷峠は下りになるので、足場が悪いことを除けば、楽な道程だ。日本橋から京都に向かうときは、その反対で碓氷峠が最大の難関で、和田峠越えは頂上までは比較的緩やかな登坂で、下諏訪までが急な下り坂になるが、標高1600mに変わりはない。中山道は江戸時代の遺構や街並みが多く残っているといわれているので、その情景を思い描きながら歩こうと思う。大変だが、楽しい旅になるだろう。

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第31回日本国際工作機械見本市開催

2022年11月7日。8日から始まるJIMTOF(日本国際工作機械見本市)の前夜祭が、㈱共和工機殿主催でグランドプリンスホテル新高輪にて開催された。2020年は新型コロナで開催されず、WEBにより運営されたが、盛り上がりに欠けたと云われている。4年ぶりの開催とあって、主催の㈱共和工機殿も1年前から、準備をはじめていたと聞いている。

239号-11.jpgのサムネール画像のサムネール画像当日、講演会として、一般社団法人静岡経済研究所の馬瀬和人理事長の「日本経済の行方~扉(みらいを開くカギとは?~)」の演題で、2年に及ぶコロナ禍とともに、ロシアによるウクライナ侵攻や急激な円安が日本の企業や家計に大きなダメージを及ぼしている。脱炭素化など時代課題への対応は待ったなしの状況にあり、企業経営はまさに「グレートリセット」を迫られている。そうした中で、扉(みらい)を開くためには何が必要か、押さえておくべきキーワードを交えながら解説していただいた。

㈱共和工機殿の「感謝の夕べ」が地下1「飛天」で、メーカー・ユーザーの約650人が参加され華々しく開催した。冒頭、岩崎洋三社長が、日頃の感謝の気持ちを込めて、有意義な時間を過ごされると同時に明日開催のJIMTOF2022において、未来に向け世界を動かす最先端技術と素晴らしい出会いをつなぐ場として、新たな発見をしていただけたら幸いですと力強く挨拶された。

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ユーザー代表として㈱ヌカベの西田慶太郎社長は㈱共和工機殿が常にユーザーの立場に立ち、提案型の営業を心掛けていると感謝の気持ちを述べた。次にメーカー代表としてオークマ㈱の家城淳社長が日本工作機械工業会会長の稲葉善治氏を差し置いての挨拶はご容赦願いたいと前置きし、工作機械業界の現況と商社である㈱共和工機殿をたゆまぬ努力を称賛さ挨拶とした。懇親会が始まった。  

弊社と㈱共和工機殿との付き合いは大隈鉄工所の展示会で、NC旋盤LSNの購入を決めた時から始まった。それから四十数年が経過し、弊社工場の大部分は㈱共和工機殿を通じて工作機械を購入した。私もユーザー代表として舞台に上がり、挨拶したことを鮮明に記憶している。

私は前方中央の円テーブルに席を設けていただいた。このテーブルには岩崎社長、㈱ヌカベの西田社長、マルスン㈱の鈴木社長、㈱富士テクニカ宮津の長谷川社長、㈱木村鋳造所の木村社長、㈱岡本工作機械製作所の石井社長、そしてファナック㈱の稲葉会長の8名が同席した。和やかに情報交換をしながら、近況を交えて話が進んだ。隣のテーブル席にオークマ㈱の家城社長、THKの寺町社長がいた。私と寺町社長が話をする様子を見て、㈱共和工機の岩崎会長が我々の所に来て、私と寺町社長の取り合わせが不思議らしく、その関係性を聞かれたので、前述の話をしたところ、大変興味深く聞いておられた。久しぶりの対面の懇親会で旧知の人ともお会いして、その健在ぶりを喜び合った。㈱共和工機殿とホテル側の万全の感染対策に感謝しながら、締めの挨拶後、早々に部屋に引き上げた。翌日はJIMTOF2022の開幕だ。日頃取引のあるメーカーのブースに行き、情報交換を行った。4年ぶりの開幕で、初日の来場者は例年に比べて大分多いという。オークマ、ツガミ、東京精密と日頃お付き合いのあるブースを訪問した。見本市の成功は間違いないと思った。

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東海道五十三次旅日記(27)

東海道五十三次旅日記

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五回上洛したが、京都に出入りする折には、この銅像の姿のように京都御所に向かって拝礼した」と云う。しばし足を止めて、碑文を読み、最後に明治維新を成就した勤王の志士たちは彦九郎を心の鑑と仰いだとの一文が往時の武士の気概を表している。三条大橋から記念写真を撮ろうと通行人を探したが、 非常事態宣言下では通行人は見当たらなかった。河原に降りて、散策を楽しんでいたが、まもなく雨が降り出した。71歳の挑戦は終わった。

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東海道27-②.JPGのサムネール画像のサムネール画像










東海道五十三次を徒歩でゴールした充実感は言葉に表すことが出来ない。60歳のとき、初めて挑戦したホノルルマラソン(42.195km)でゴールした時の充実感と同じ感覚だ。当初、江戸時代の人に出来て、現代の自分が出来ないことはないと思っていた。た。しかし当時の人は草鞋を履いていたが、私は超距離を歩くシューズ・靴下を使用したので、足の疲労は格段に違う。もし私が草鞋を履いていたら、1日で小田原宿から三島宿まで行けなかった。まして足場の悪い箱根越えを半日で、芦ノ湖まで行くことはできなかっただろう。新幹線の中で旅日記をまとめている時、大井川の橋にさしかかった。わずかな時間で橋を渡った。それもあっという間だ。私は大井川の橋を渡るのに、20分近くかかったことを思えば、現代人と江戸時代の人の時間の流れが、これほど大きく違うことが、物事を考える上でどのような違いが生まれるのだろうと思考した。24歳の時、茨城工場を立ち上げるため、東京から赴任した。従業員は自分も含めて4人が最初の出発だ。毎日、睡眠時間を削って、現場での作業後、トラックを運転してお客様の工場への納品作業、21時過ぎに工場に到着するので、守衛に門を開けてもらい、誰もいない入荷場に部品を置き、帰るのは午前0時。トラックを運転しながら、将来の会社のあり方を夢想していた。その反動で時間に追われない東海道五十三次を歩いて旅することにした。そして71歳の挑戦だ。

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