最近の出来事

茨城県経営者協会創立70周年記念誌の寄稿

201767日水曜日水戸プラザホテルにおいて、茨城県経営者協会の創立70周年記念総会が開かれた。それに先立ち会報誌に寄稿した。

 

「茨城県経営者協会創立70周年誠におめでとうございます。

 この記念の日に鬼澤会長のもとで、副会長として皆様をお迎え出来ることを大変うれしく思います。

 私は平成254月より副会長を務め、今回の記念総会に参加できること光栄と同時に、改めて役職の重さに身が引き締まる思いです。会員企業の多くが中堅・中小企業であり、中小製造業の意見を経営者協会に、協会から茨城県へ届けることが、私の役割と思い活動してまいりました。私は1996年茨城県上海事務所の開設をきっかけに、経営者協会の経営教育委員会で「中国事情」をお話しする機会がありました。このことがきっかけになり、委員会活動に参画すようになりました。委員会活動を通じて異業種の人達との出会いは大変勉強になったのと同時に楽しい思い出にもなりました。

 私が茨城県民になったのは1974年です。東京で育ち、学び、㈱協立製作所に入社し、茨城工場立ち上げのため筑西市に移り住み、44年が経ちました。この間、世界経済の激変は云うまでもありません。85年のプラザ合意からバブル崩壊、金融危機、リーマンショックそして2012年以降の中国経済の低迷。私の会社が属する建設機械は2000年以降に中国で急成長しましたが、リーマンショック後の大不況、中国の約60兆円の財政出動による急回復、その後2011年をピークに長期の低迷、2015年に底を打ち、2016年後半に急回復と世界経済の荒波にもまれてきました。

 日本の製造業はコストの低い新興国に進出し、グローバル化に順応してきましたが、足元を見ると長年の課題である少子高齢化に歯止めがかからず、生産年齢人口の減少が中小製造業にとって重くのしかかっています。製造業の立場で課題解決に向けて情報発信を行っていきたい。」

 

現在、会員数は7月末時点で1,146社、今期の会員増強運動で目標会員数は1,170社。

 

茨城県経営協会新年号寄稿

半年以上遅れてしまったが、茨城県経営者協会の新年号の寄稿を掲載する。

建設機械の代表的な機種である油圧ショベルは世界需要の半分を中国が占める。昨年前半、4年に渡る不況に底打ち感が出てきた。8月頃から対前年同月比で増加に転じ、11月に入っても改善が続いている。今回の長い不況は2008年のリーマンショック後に60兆円の財政支出を実施し、世界経済を支えた中国が、そのリバウンドで需要の減少、過剰在庫、腐敗撲滅運動による工事の未着工等々が長い不況の要因と考えられる。特に地方政府の資金不足が影響したと云われている。昨年、新規国債の発行が、地方政府の仮需の借り換えで可能になり、工事再開の需要条件が整ってきたことが回復の要因としてあるようだ。しかし本格的な回復を予想するには45月頃の需要状況の様子を見て判断する必要がある。

19891222日の夜、初めて上海の虹橋空港を降り立った。空港内には機関銃を持った人民解放軍の兵士がパトロールしていた。半年前に起きた天安門事件の影響で警戒しているとすぐに分かった。出口に向かって行くと、うす暗い中で目だけが光っている大勢の人達がこちらに視線を向けていた。異様な光景だった。知人二人の顔が見え、安堵したのを覚えている。上海で会社を作って、人を集め、日本語教育を行った後、協立製作所で技能実習を行い、上海に戻して部品を製造し、日本に輸出する。当時の人手不足の解消と海外進出の目的のため、自分の目で見て、肌で感じて、実施の可能性をみたいと思った。

1971年創業者の父と会社の将来を話し合った。当時、東京品川の小さな町工場だった協立製作所は10人足らずの従業員で、1階が工場、2階が住まいで住込みの従業員も数人いた。私は地方に工場を作れば、自分が行くと話した。品川の工場は常に人手不足で、納期を間に合わせるため、両親は従業員が帰ってからも仕事をしていた。これらを解消するため、地方の工場であれば、人手不足を解消できるのではないかと提案した。入社後いかに考えが甘かったかを思い知らされ、後に人手不足解消のために上海進出へと繋がって行くことになるとは、この時思いもよらなかった。

茨城工場に赴任した時は40坪の工場に4名で始まった。それから15年の間に3回の増築で工場は320坪に拡大し、社員は50名を超えていた。80年のバブル時代、人手不足は恒常的に起こっていた。東京でスポーツ新聞に社員募集を出したところ、中国人1名が応募し入社した。この中国人から友達を紹介してもらい、茨城工場に2名の中国人が来ることになった。バブル期後半には中国人や他の外国人だけで3040名在籍するようになり一時的に人手不足は解消した。同時に発生していたのが、工場スペースの不足だった。土地の用途変更があり、工場の増築は出来ず、深刻な問題へと発展していった。移転できる適当な場所が見つからなかったが、およそ3年で開発行為と建築確認の許可をもらうことが出来た。新工場は経営の決定から4年目で完成した。また同時に活動を開始していたのが、中国に進出し、人手不足解消と工場面積の拡大を行うことである。会社設立の活動を始めてから1年で認可を受け、貸工場の契約も行い準備ができた。中国の会社には最初に茨城にきた中国人2名が設立に参加した。しかしその後さまざまな困難が待ち受けていた。

続きは次の機会で報告したい。

 

字数が限られていたので、続きは2018年の新年号に掲載予定。

茨城産業人クラブ経済講演会inつくば2017

茨城産業人クラブでは530日、茨城県つくば市で「茨城産業人クラブ経済講演会inつくば」を開催した。つくばでの講演会開催は昨年に続き2回目。科学技術が集積し、ベンチャー企業の創出も相次ぐつくばの地で、事業を下支えするつくば研究支援センターの斎田社長と、コマツ茨城工場の鈴木工場長が国内でも最先端のIoTを推進する取り組みについての講演が行われた。(日刊工業新聞社記事による。)

 

私の会長挨拶は以下の通り。

「茨城産業人クラブ会長を仰せつかっている高橋でございます。

日頃より、茨城産業人クラブに対し、多大なるご協力を賜り、また このように多くの方々にお集まりいただき、厚く御礼申し上げます。開会にあたり、主催者を代表し一言ご挨拶をさせていただきます。

 

茨城産業人クラブは昨年に続き二度目の「つくば市」での経済講演会となります。つくば市は皆様ご存じのように、国の研究機関等が多数立地する国内有数の知的集積地であり、「サイバーダイン」を始めとする多くのベンチャーが起業する場所としても注目を集めています。

また、つくば市は「国際戦略総合特区」の指定を受けるなど、研究機関の研究成果を、今まで以上に新事業・新製品に結びつけようとする動きも活発化してきております。 我々、県内中小企業としましても、つくば市に集積する科学技術をいかに活用するかが今後はより一層重要になってくるのではないでしょうか。

 

さて、日本経済ですが、内閣府が18日に発表した2017年1―3月期のGDP(実質国内総生産)は大方の民間予測を上回り、年率換算2・2%のプラスとなり、11年ぶりの5四半期(ご しはんき)連続成長となりました。緩やかな景気回復が続いているという政府の景気判断を裏付ける結果となった訳ですが、経済成長を実感している経営者は少ないのではないでしょうか。

 

一方、労働生産人口の減少や景況感の改善、建設機械の急回復やスマートフォン関連などの生産の好調さの中、人手不足が大きな問題になっています。中小企業の人手不足感が新年度になっても収まっていません。日本政策金融公庫総合研究所が製造業を対象に実施した調査によりますと先月の従業員判断指数、つまり不足の割合から過剰の割合を引いた値はプラス19.4と前の月から0.1ポイント上昇しました。これは1995年の調査開始以来最高を更新しているとのことです。直近の県内有効求人倍率は1.4倍になるなど小規模企業では人手不足で事業を縮小せざるを得ないところも出ていると聞いています。官民挙げて人手不足問題を解決する工夫が必要ではないでしょうか。

 

海外に目を向けますと北朝鮮問題による東アジアの緊張の高まりや、米トランプ大統領の疑惑など、多分に外的要因に左右されるところが大きい昨今の景気動向です。ただ、こうした難しい状況にあっても、新しい技術や製品、サービスを創出し、人々の暮らしを豊かにしていくという企業の本分は変わりません。それぞれの企業が事業を通じて社会に役立つことで、社会から信頼される存在になり、それが継続的な成長に結びついていくのだと思います。

 

本日の経済講演ではつくば研究支援センターの斎田陽介社長に「つくば発ベンチャーの最新トレンドとつくば研究支援センターの役割 」について 、お話しいただき、小松製作所の執行役員生産本部茨城工場長の鈴木 康夫様には「コマツ流IoT活用」と題しご講演いただきます。

 

我々 製造業経営者の抱える多様な経営課題に対し、多くのヒントをいただけるのではないかと期待しております。」

茨城産業人クラブ50周年式典

昨年(2014)、11月4日水戸京成ホテルにおいて、茨城産業人クラブ50周年の記念式典がおこなわれ、長年の功績に対して30社を超える企業・団体に感謝状を贈呈した。

 

私の会長挨拶は以下に要約。

 

「先週、日銀が追加緩和を発表し、株価は大幅に上昇し、為替相場も欧米では114円まで、円安が進みました。日銀総裁は「円安は日本経済全体ではマイナスよりもプラス」と述べる一方で、「製造業、特に輸出企業にはプラスになるが、輸入企業や非製造業、中小企業にはマイナスの影響が直接的に及ぶ」との認識を示されました。我々中小企業にとっては非常に難しい対応を迫られると思いますが、今後の成長戦略を注視したいと思います。

 

さて、茨城産業人クラブは、2014年4月、設立50周年を迎えることが出来ました。これも偏に会員各社の長年にわたるご支援の賜物であるとともに、激しい時代の変遷の中で礎を築いてこられた先輩達の努力の成果であると、心より御礼申し上げます。

 

1964年(昭和39年)産業人クラブは、政治、経済、技術などの情報を交換し、経営者の資質向上、事業の拡充を図り、わが国産業の発展に寄与することを目的に、工業人クラブとして、関東地区の産業人111人で設立されました。正確な産業情報を素早くキャッチし、それぞれの企業経営に役立てること。さらには産業界に起こるさまざまな問題の研究や、解決を図りながら「日本の将来は工業立国である」という共通の目標のために手を組んで進もうと組織され、当地域では常磐地区の産業界の交流、発展を図るために「常磐工業人クラブ」として会員26名、特別会員名で スタートしました。初代会長は、日立市の日立機械工業社長の北山直太郎氏が就任されました。その後、6代目に平沼産業の平沼社長、7代目にコロナ電気の柳生社長を経て、私が8代目の会長を務めることとなりました。

 

現在、茨城産業人クラブでは、幾度かの名称変更を経て、会員160名を擁し、県内産業の活性化を目的に産・学・官・金交流活動などをベースに諸事業を実施し、会員企業の長期・安定的な発展基盤の構築を目指しています。

 

本日は永年会員として産業人クラブを支えてくださった企業の方々に感謝もうしあげ、記念講演では日野自動車・市橋社長様にご登壇いただき、今後の目指す方向と取組みになどについてご講演いただきます。講演会後の懇親交流会には橋本知事・県幹部の方々も出席されますので、多くの皆様にご参加をお願い致します。

50周年集合写真2014.11.18.jpg

シングルへの道

2014年は月末にハンデキャップになってから、月は成績が悪く90を切れなくなってしまった。シングルになった達成感が強かったためか、なんとなく次の目標が定まっていないためか、同じ気持ちでプレーしているつもりでも、スコアがまとまらない。どこかのホールで大たたきしてしまう。忙しくなって練習が出来なくなったのも調子を落とした一因かも知れない。

同年月の連休中に毎日続けて練習したところ、少しずつ感覚が戻ってきた。月のコンペで84を出し復調の兆しが出てきた。夏休みも練習を行い、コースにも行きプレーしたところ、月末のころに調子が上向いてきた。月に行われた大洗ゴルフ倶楽部のシニア選手権で、初日アウト45イン4287でまわり、二日目アウト43イン41の  84、トータル171でホールアウトした。ハンデキャップラウンドで18、ネット153オーバーで優勝した。開場記念杯は1025日土曜日に出場し、FT6188ヤード、アウト40・イン3979ホールアウトし、アンダーで優勝した。2014年は通算回優勝し、最高のゴルフイヤーだった。

私が2014年最高のプレーが出来たのは10日に開催された理事長杯である。予選を通過した32名が翌週マッチプレーで戦っていく。私は午前の回戦は大変調子が良く、特にドライバーが近年になく調子がよかった。距離も十分でフェアーウエイのキープ率も高かったので、16番で決着がついた。軽食を取り、回戦に臨んだ。ドライバーとパティングの調子も持続し、アップで勝った。回戦の相手はハンデのHさん強敵だ。前半は相手の調子が悪く、私は調子が持続していた。ホールでアップし勝てるかも知れないと、後半に望んだが、10番から12番まで連続して負けてしまい、アップまで後退。イーブンのまま18番ホールにもつれ込んだが、一歩及ばず負けた。でも貴重な体験が出来た。

明けて2015月・月も寒さに耐えて出来るだけコースでプレーしたが、90前後でしかまとめられない。寒さが原因とはわかっていても65歳の年齢を考えると気持ちがくじけそうになる。しかし気候が良くなった4月頃から徐々に調子が上向き、気持ちも前向きになった。その結果月の大洗ゴルフ倶楽部の「茨城新聞杯」RT6687ヤードではアウト39イン4483、ネット74で準優勝、続いて「茨城県知事杯」ではBT7190ヤヤード(コースレート74.4)をアウト43イン4285、ネット76で準優勝した。65歳過ぎても進化し続けることが実感できたヵ月だった。ハンデ目指して、頑張るゾー。


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