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孔子いわく(3)

20世紀の中国、毛沢東が発動した文化大革命においては別の意味で孔子が重要な存在となった。毛沢東とその部下達は批林批孔運動という孔子と林彪を結びつけて批判する運動を展開。孔子は封建主義を広めた中国史の悪人とされ、林彪はその教えを現代に復古させようと言う現代の悪人であるとされた。しかし現代中国では林彪の再評価の動きがあり、もちろん孔子の評価はゆるぎない。現在孔子の子孫は直系以外も合わせ400万人いると云われ、孔子の町として観光地化しているところもある。

現代でも孔子の教えは確実に我々の思想と行動の規範になっている。日本で広く知られている仁・義・礼・智・信のキーワードは、孔子が説いた儒教にある。『仁』とは施しの心、優しさ、愛である。
『義』義とは人助けの心、義侠心である。
『礼』礼とは礼儀、礼節の心である。
『智』智とは正悪を真に理解できる知恵である。
『信』信とは信頼されるような人になることである。

人は『仁義礼知信』の五つの徳を養わなければならない。これを五常の徳といい、言葉と行動が一致すること。人を欺かないこと、嘘をつかないこととされている。この五常の徳が今の普通道徳の基礎と成っている部分とのことです。

孔子のほんの一部を記してきたが、論語をもう一度読んでみたいと思った。

上野の湯島天神に湯島聖堂孔子廟(大成殿)として祭られている。湯島天神のホームページから写真を拝借した。

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  寛政2年(1790)、武士の学問を重視した老中松平定信は、儒学のなかで朱子学を正学とし、他の学派を異学とする寛政異学の禁を定めて、朱子学の振興をはかった。柴野栗山・岡田寒泉ら林家の系統以外の学者を教官に登用し、寛政9年(1797)には聖堂西隣の学寮・宿舎を建てるなど、施設の整備拡充をはかり、幕府の正式の学校とした。やがて昌平坂学問所と名づけられ、直参の弟子のほか、諸藩の俊才が青雲の志を抱いて集まる最高の学府となった。 

孔子いわく(2)

日本では孔子様として昔から広く知られ敬われている。私は孔子のことは良く知らかったので調べてみた。

 

孔子は約2600年前に、山東省曲阜市で生まれる。卑賎階級の巫女の子として生まれたとの異説もあるが、孔子自身は論語で「貧しくて賎」と語っていると云う。幼くして両親を失い、孤児として育ちながらも苦学して成長していった。身長は216cmの長身で「長人」と呼ばれたという。52歳のとき魯の定公によって中都の宰相に取り立てられたが、後に国政に失望して弟子とともに諸国巡遊の旅に出た。しかし孔子を受け容れる国は無く、69歳の時に魯に帰国した。その後は弟子の育成に専念し、73歳で没したと云う。

孔子の人生の大部分は無冠の一学者に過ぎなかったが、漢代の史家司馬遷の『史記』では、その功績を王に値すると評価したそうである。

孔子の思想は仁(人間愛)と礼(規範)に基づく理想社会の実現である。それをまとめたものが論語である。孔子はそれまで原始儒教を体系化し、一つ道徳・思想に昇華させた。その根本義は「仁」であり、仁が様々な場面において貫徹されることにより、道徳が保たれると説いた。しかしその根底には中国伝統の祖先崇拝があるため、儒教は仁という人道の側面と礼という家父長制を軸とする身分制度の双方を持つにいたった。

孔子は自らの思想を国政の場で実践することを望んだが、ほとんどその機会に恵まれなかった。孔子の唱える、体制への批判を主とする意見は、支配者が交代する度に聞き入れられなくなり、晩年はその都度失望して支配者の元を去ることを繰り返した。それどころか、孔子の思想通り、最愛の弟子の顔回は赤貧を貫いて死に、理解者である弟子の子路は謀反の際に主君を守って惨殺され、すっかり失望した孔子は不遇の末路を迎えたと云う。

孔子の死後、孟子・荀子といった後継者を出したが、戦国から漢初期にかけてはあまり勢力が振るわなかった。しかし前漢・後漢を通じた中で徐々に勢力を伸ばしていき、国教化された。以後、時代により高下はあるものの儒教は中国思想の根幹たる存在となった。

 

孔子いわく(1)

ある金融機関の情報誌がネットによって、毎日中国の政治・経済・法律改正の情報や為替情報が送られている。その中に孔子の論語を翻訳した短い文章が連載されている。心に留めておきたい言葉を忘れないように手帳に記している。

 

孔子いわく、「有益な友に三種、有害な友に三種ある。直言してくれる友・誠実な友・博学多識な友は有益な友である。体裁ぶる友・媚び諂う友・口達者な友は有害な友である」。

 

孔子いわく、「有益な楽しみに三種、有害な楽しみに三種ある。礼節と音楽によって自己を磨く楽しみ・人の美徳を噂する楽しみ・賢い友が多くいる楽しみ、これらは有益な楽しみである。享楽に耽る楽しみ、遊楽に耽る楽しみ、宴楽に耽る楽しみ、これらは有害な楽しみである」

 

孔子いわく、「君子には自戒しなければならないことが三つある。若い時は勇気もやる気も元気も根気も旺盛であるが、特に性欲に振り回されないようにしなさい。壮年になると出世欲にフォーカスして闘争心が強くなるからこの時期は人と争うことを避けなさい。年をとると勇気もやる気も元気も根気も衰えて来るから、欲に執着することを捨てなさい」。

 

孔子いわく、「覚醒したる人物(君子)には畏敬するものが三つある。その一は天命を畏れ敬い、その二は天命を体した大人物(大人)を畏れ敬い、その三は天命を伝える聖人の教えを畏れ敬う。愚かな人物(小人)は、天命を知らないで畏れず、天命を体した大人の存在に気付かず馴れ馴れしく接し、真理を伝える聖人の教えに耳を傾けようともせず馬鹿にする」。

 

孔子いわく、君子としての心掛けに九ヶ条がある。
一、本質を見抜くよう心掛ける。
二、先入観に囚われない。
三、顔つきはいつも温和でいる。
四、恭しく人と接する。

五、口先だけにならぬようにする。
六、慎重であるようにする。
七、疑問は質問する。
八、腹が立つ時は、当り散らさず自重する。
九、利益の前では、義に叶ったものか考える。

 

上海出張

13日水曜日19時15分の便で成田空港を出発した。本来、10日の日曜日に出発して13日に帰国する予定だったが、地震後の復旧のため中止していた。予想より早くフル生産に戻ることが出来たので、急遽再出張を決めた。

 

今回の訪問は営業許可の延長更新の確認と2011年度の経営計画の確認である。上海協立機械部件有限公司は設立が1991年6月12日で営業期間は20年と定められていた。今回の更新は2031年6月11日で20年の期間である。

 

上海協立機械部件有限公司の取締役会決議、規定修正案、取締役会メンバーリスト、経営期限変更及び監事設置に関する申請書、株主決議、外国独資企業契約書及び規定修正に関する申請書の6部からなる書類を作成し、既に署名したものを送ってあった。上海市人民政府から中華人民共和国外商投資企業の批准書、上海市工商行政管理局から企業法人の批准書を確認するのが今回の目的である。

 

成田空港に17時に到着した。空港内は福島原発の影響を受けて客が少なく閑散としていた。19時15分発のフライトで現地時間21時15分に到着、張さんが自らで迎えてくれた。宿泊先の花園飯店に22時30分にチェックインし、23時30分まで張さんと情報交換を行った。

 

14日、朝8時にホテルを出発。いつも張さんが迎えに来てくれるのだが、今回は断った。私は2008年に引っ越した工場の場所を一人で行ってみたかった。道順は覚えていたので、タクシーで行くことにした。住所を書いた紙を運転手に渡し、上海‐杭州を結ぶ高速道路乗り最初の出口「新橋」で降りるように指示した。しかし途中から環状高速道路を降りてしまい、一般道路で向かってしまった。運転手に道路が違うと言ったが、ナビで住所を登録したから大丈夫だと言い張っている。距離の短いルートを選択したようだ。私は時間が早いルートを指示したのに、理解していないようだ。目印にしているエレベータ会社の試験棟がみえた。いつもより30分以上時間がかかり、9時10分に無事到着した。

 

批准書の確認と説明を聞いてから、経営計画の打ち合わせを行った。午後、茨城県上海事務所の副代表が来社され、工場見学と会社概要の説明を行った。

次回の訪問予定は6月で、設立20周年を迎えるので身内だけの懇親会を行おうと思っている。

 

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東北関東大地震(4) 

13日日曜日6時起床。地震と津波による被害の大きさに自分は何が出来るのか自問自答した。結論は協立を早く復旧させることが自分に出来ることだと改めて思い復旧の先頭に立つことを心に決めた。いつもより多くの朝食を取った。もしかしたらしばらく食べることが出来ないかもしれないと思ったからだ。

 

いつもと同じ7時半に出社した。幹部や従業員の人達が出社、メチャクチャになった2階事務所は5~6人で後片付けを行い、パソコンのネットワークのチェックを行い皆が出社する月曜に連絡が遅滞なく出来るようにするためだ。機械の水平出しは保全課の1チームがK1のスプール工場から作業を始めた。製造設備にとって機械の精密水平は命である。

 

前日、結城市で泊まるところを見つけ、朝一番でKYBの長谷川さんと池田さんが応援に駆けつけてくれた。私の旧知の人達なので心強く思った。まもなくクールテックから広瀬さん、宮原さん、上田さんが応援に来てくれた。皆さん60歳以上の超ベテランで、全体を統括する田所さんもお見えになり、状況把握に努めていた。その後クールテックは山下さんが加わり4名で水平出しをおこなった。感謝の気持ちでいっぱいだった。午前、コマツの小山工場と電話がつながり応援に行く用意をしているとの言葉をもらった。午後になるとコマツの西川さん、福本さん、鈴木さんが来社し、被害状況を把握し、必要な人数を決めるために打合せを行った。

 

17時頃、応援部隊の人達と共に早く終わることにした。出社出来た人が少ないので、ムリをすることはないと思った。本格的な復旧作業は月曜日からだ。長丁場になると決意を新たにした。出社出来た人達の家の状況を聞くと電気・水道が回復していないとのことだった。

 

機械商社の共和工機の社長・会長から全面的に支援するとの申し出を受けた。機械メーカーへの連絡・調整をお願いした。この日は携帯がつながらなく、何度も何度も電話をした。私はいつも予備の電池1個と補充充電アダプター1個を持ち歩いているが、今日は電池2個を使い切り補充充電アダプターを携帯に差し込んだまま使用した。こんなに電池を使ったのは初めてだ。このような大災害の時に携帯電話の重要さを再確認した1日だった。

 

家に帰ってからも余震が続いていたが、早く寝ることにした。明日も頑張ろう。

皆さんありがとう。

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