6月10日(火)朝8時40分から午後3時15分まで、22チームによって5S・TPM改善発表会を行いました。この発表会も11ステージになりました。継続は力なりの言葉を信じて活動を続けて行きたいと思っています。
午後4時05分から表彰式の開式挨拶を初めとして、前回優秀賞チーム発表・推進副本部長から順位発表と講評を行った後、推進本部長による表彰式を行い、続いて所感を述べ4時55分に閉会した。以下に順位を示します。皆さんおめでとう。
表彰名 分科会名 チーム名 チームリーダー 分科会長名
最優秀賞 個別改善分科会 押忍!!金太郎総本部チーム 海老沢文則リーダー 宮坂K
準優秀賞 品質保全分科会 進めボンバーズチーム 篠崎一郎リーダー 皆川KD
努力賞 品質保全分科会 TEAM-Uチーム 中尾辰則リーダー 皆川KD
努力賞 個別改善2分科会 SP○○L係チーム 上村富士雄リーダー 増渕SH
努力賞 個別改善1分科会 ブラックストーンチーム 増渕竹次リーダー 宮坂K
最優秀分科会長賞 個別改善1分科会 宮坂課長
準優秀分科会長賞 品質保全分科会 皆川課長代理
宮坂課長は最優秀分科会長賞を第十ステージに続き、2連覇を果たしたので、次回は卒業となりました。入れ替わりで瀬畠課長代理が新しい分科会長に就任しました。
皆で頑張りましょう。
最優秀分科会長賞 宮坂課長

準優勝分科会長賞 皆川課長代理

最優秀賞 海老沢文則リーダー

準優秀賞 篠崎一郎リーダー

努力賞 中尾辰則リーダー・上村富士雄リーダー・増渕竹次リーダー
創業者 高橋庫吉は大正13年4月3日、茨城県西茨城郡岩瀬町(現桜川市)において芳之助・はる夫妻の三男として誕生した。兄弟は5男1女の4番目である。閉農機には農耕馬に乗り、相撲も強く、総じて腕白な子供であった。父親から子供のころから「手に職をつけろ」と言われ続けていたことkら、高等小学校を卒業後、親戚の紹介で昭和13年14歳の時、東京都墨田区にある水谷鉄工に就職する。水谷鉄工は工作機械の部品の製作や一部組立をしていた。設備は旋盤・プレーナー・シェーパ・キサゲ・組み立てなどを行い、昭和18年まで勤務していた。18歳の時無理をして運転免許を取ったのも、父芳之助から「手に職をつけろ」と云われたことが動機になっていた。勘が良く工作機械の習熟度も早く、工作機械の精度を左右するヘッドの擦動部のキサゲ作業を習得していた。後に独立時の資金が乏しい時、中古の工作機械を加工作業ができまでに修理し、回復させる技術技能を修得していたことは幸運だったと述べている。
昭和18年、水谷鉄工を退社し故郷に帰ったのち、召集令状のもと健康診断で甲種合格し少年兵として徴兵されていった。派遣先は中国河北省石家庄市で戦車の整備兵として任地に赴いた。昭和20年8月に石家庄市で終戦をむかえて捕虜にあった。捕虜生活のうつ7ヶ月は、鉄道の枕木を埋設する工事で、枕木を運び固定する鉄杭をハンマーで打ち付ける作業に徒事させられていた。満州にいた関東軍の捕虜はシベリアに連れて行かれ、想像を絶する捕虜生活を送り、日本の土を踏まずに亡くなった方が大勢いた。それに較べると自分は幸運だったと回想している。
捕虜生活では線路を引きながら、汽車の修理を施し、線路に乗せ走らせながら上海に到着するまで作業が続いた。上海に到着後、幸運にも昭和21年4月に帰国が許され、上海から船に乗って博多に向かった。船の中では全員が階級章を外し、日本軍時代に理不尽な理由で制裁を受けた上官に対して、一部で報復が起こったと云う。一週間を費やし博多港に着き、博多駅から上野を経由し、故郷の水戸線羽黒駅に着くのに2週間を要した。やっと戦争が終わったと実感したと云う。
帰国後、昭和21年6月水戸線川島駅にある日平産業伊佐美工場に就職した。そして昭和23年1月に同じ坂本村に住む鈴木をいと結婚し、長男 日出男と次男 茂の2子を儲けた。戦後の混乱した経済の中、実家から食料を分け与えられて家計をしのいでいた時期もあった。
管理監督者は作業を指導するときに、「分かったはず」「出来るだろう」「そこまで確認していない」等ないようにお願いしたい。また新人の方は作業手順が不明確なままに作業をしないで、監督者に確認してから作業を進めてください。
例えば、油圧ショベルのコントロールバルブの内径部とスプールのスキマはおよそ 0.004㎜です。そのスキマにバリやゴミといった異物がかみこみますとスプールが動かなくなってしまいます。例えば、油圧ショベルを操作し作業している工事現場が良く見られますが、塀の反対側に人がいた場合、作業中異物がかみこみますとコントロールバルブがロックして、塀を破損してしまいます。運転者がレバーを操作し止めようと思ってもロックしているため止まりません。その結果塀を壊してしまいその破片で人が大怪我をしてしまう可能性があります。
このような品質や加工の観点から私は3つの事を念頭に企業経営を行っています。①組立の3大不良の要素である「異品・欠品・締め忘れ」、「清浄を制するものは油圧を制する」、②工程では「材質間違いは会社を潰す」、「熱処理飛ばしは会社を潰す」、「バリ取りを制するものは油圧を制す」、③品質では「変化点管理を制するものは油圧を制する」、「小径深穴加工を制するものは油圧を制する」などです。
最後に、我々が製造しているバックホーローダーのポンプがリコール対象になりますので、作業手順書に沿って作業を進めて下さい。
「お客様満足の高い品質の製品を作ろう」が我々の品質目標です。皆で頑張りましょう。
オークマ取引先謝恩会
4月6日工作機械メーカーであるオークマ㈱殿のお客様謝恩会が、岐阜の名鉄犬山観光ホテルで開催された。最初に代表取締役社長の花木様が主催者として「昨年、工作機械業界は大変な年でしたが、新興国のインフラ整備による需要が期待できる。景気の底は打った。」と挨拶された。
私は事前に挨拶と乾杯を頼まれていたので、我々の会社の紹介と建設機械業界を牽引している中国の景気動向を手短に話し、次のように挨拶した。「我々製造業はこのような世界経済の中でどのように適応していかなければならないか。200年以上続いている会社は、世界で7,000社あり、その内日本では3,000社あります。世界の工場と云われている中国では9社、インド3社、お隣の韓国0社、技術を積み重ねているドイツでも800社です。更に社歴100年以上で小規模な呉服屋・旅館業などを加えますと、日本には10万社あります。そのうちの4万5千社が製造業です。これが日本の大きな特徴です。
日本には「ものつくり」をずっと続けてきた会社や商店が非常にたくさんあります。リーマンショック後、企業のキズが癒えた後の世界は大きく変わっていると思いますが、我々日本の製造業は世界の中でもまれな特徴、つまり環境の変化に適応できる能力・DNAが脈々と続いていると思います。常に前向き・外向き・上向きな気持ちを持って進んで行きたいと思います。」と挨拶し、乾杯の音頭を取った。

3月4日産業政策課の方が来社され、茨城県商工労働観光審議会委員の委嘱依頼があった。お話を聞くと茨城県商工労働観光審議会条例に基づき、「商工部会」「観光部会」「雇用部会」の3部会を設置し、指針や計画策定など、部会において審議し、私には「商工部会」で「茨城県産業活性化に関する指針」について議論してほしいといわれた。年2~3回の会合があるとのことなので、社業に差し支えない範囲でお引き受けすることにした。
引き受けた大きな理由は、茨城工場に赴任した1974年から36年間、茨城県に 住居を構えて、4人で始まった工場を300人で生産活動できるまでになった。その間様々な行政との問題を乗り越えて、今日がある。この体験を茨城県の産業活性化の役に立つのであればと思い引き受けた。
最初の会合は3月25日、
次に議題として①「茨城県産業活性化に関する指針」、「第九次茨城県職業能力開発計画」及び「茨城県観光振興基本計画」の策定等について②平成22年度茨城県商工労働部主要施策の概要について担当課長から説明があった。
私はこのとき、初めて指針や開発計画・基本計画の資料をいただき説明を受けたので、理解するのに時間が足りなかった。前もって資料を頂き事前に眼を通していればと反省した。と云うのは議題が茨城空港の活性化が主要テーマとして取り上げられ、どうやって茨城県を活性化していくかとの議論になった。3番目に私の意見を求められたが、空港の話をしたほうが良いのか産業活性化を正面から取り上げたほうが良いのか迷ってしまった。空港の活性化について日ごろ思っていることがあったので意見を述べようと思ったが、結局後者の話を始めた。しかし産業活性化の意見を5~6分で要領よく纏めることが出来ず、時間が掛かりすぎるので途中でタイムオーバーになり、デビューは中途半端に終わってしまった。次回の部会は問題を絞って議論できれば良いと思っている。

茨城空港について私は門外漢だが、あえて言うと審議会の議論の中で茨城空港が出来、韓国のハブ空港を通じて世界とつながったとの意見があったが、私は一刻も早く羽田空港をハブ空港にしていかないと、日本の国力が相対的にアジアの新興国より低下していくと思う。シンガポール・ホーチミン・ジャカルタ・バンコクの空港は24時間で運営されており、いかに使いがってのよい空港にするか知恵を絞っている。そのうち上海の浦東空港も24時間空港のハブ化を画策していると思う。
このような観点から茨城空港は再度マーケティングを行い、国内初の24時間空港として羽田と成田の補完を行い、生きていく道を模索しなければならないと思う。
産業活性化に話を戻す。GDPを拡大し豊かな茨城県を目指すには①労働者人口の増加②資本投下の増加③生産性の向上の3つが欠かせないと云われている。資本投下については文句なく増加していると思うが、労働人口は少子高齢化により増加せず、減少していく。今は不況で人余りだが将来必ず人手不足になる。製造業の生産性向上は、世界の中でもまだ上位にあるといわれているが、持続的な活動につなげるためには戦略・戦術が不可欠で、戦術を理解できる人材と仕組みが必要である。このことを整理し方向性のベクトルが合えば、具体的な議論につながるのではと期待している。
3月27日(土)家族で還暦のお祝いを日本料理「丸治」で行った。私の誕生日は昭和25年2月24日であるが、家族の日程が合わないので1ヵ月遅れの誕生会である。日本での還暦のお祝いでは、本人に赤色の頭巾やちゃんちゃんこを贈る慣わしがある。私は赤色の衣服などを着るのは嫌なので、子供たちにそのことを前もって話しておいたら、代わりに朱色のゴルフチョッキとパターをプレゼントしてもらった。大変嬉しかった。あらためてありがとう。
なぜ赤色の衣服を贈るのか調べてみたら、かつては魔除けの意味で産着に赤色が使われていたため、再び生まれた時に帰るという意味でこの習慣がある。還暦を機に現役を引退する例が多かったため、満60歳を定年とする職場も多かったが、近年は65歳定年も増えてきている。西洋では60周年を象徴とする風習があり、結婚60周年はダイヤモンド婚式といいダイヤモンドをお祝いに送る習慣があったという。
人生を振り返ってみると丈夫に育ててくれた両親に感謝し、結婚してから健康を支えてくれた妻に感謝感謝の気持ちでいっぱいである。60歳が第二のスタートとするならば、新しいことに挑戦したい。それは初めてのフルマラソン(42.195km)への挑戦である。若いときから長距離が苦手だからこその挑戦、テレビでマラソン中継を見ているだけでは飽き足らずいつか走ってみたいと思っていた挑戦、60歳で本当に出来るか不安であるからこその挑戦である。国内でのマラソンはほとんどの大会が制限時間7時間以内であるので、1週間に1回10km程度の練習では自信がない。制限時間がない大会を探して見ると、ホノルルマラソンが一番身近なので、友人と一緒に行くことにした。これから1週間に2~3回少ない距離でも走る回数を増やしながら、膝を痛めないで完走できる体作りをしていきたい。
これが60歳の還暦を迎えての決意である。
偶然だが、ときわ会機熱作業部会の会議を2月24日に土浦工場で行った。参加約 30人の方々が私の還暦の誕生会を行ってくれた。皆さんありがとうございます。

3月は最盛期の70%の売上を上げることができました。2010年度は最盛期の 80%程度の受注を見込む事が予想されますので、全力で売上高の確保に結び付けたい。これは中国を中心としたインド・インドネシアなど新興国の景気回復に追うところが多い。アメリカでも少し動きが出てきたが、ヨーロッパは来年の後半になるのではないか。
我々の会社作りのスローガンとして「確度の高い計画を作り、製造は清々と計画通りに進める」があります。確度の高い計画を実現するためには、お客様の受注データに基づき月初めに計画を立て、変更に対しては月半ばに計画を作りなおします。
そして生産管理システムの信頼性を高めるには、在庫・仕掛品の数量がシステム上の数量と現物の数量が一致していることです。その為には現物と伝票を一致させ、必ず現物を移動させるときに入力作業をすることです。これが出来ませんと在庫数が合わないとか在庫がない等の問題が発生します。
各部門はシステムの信頼性を向上させるため基本ルールを守ってください。ルールに合わない事がある場合は上司に報告・相談・連絡してください。上司は生産管理部門に報告して運用のルールを作ってください。システムができれば運用もうまくいくと思わないでください。運用の改善が進まず、システムの信頼性を損ない失敗する事例はたくさんあります。
最後に、工場は最大の営業のツールです。その最低条件は綺麗な工場、床がドライ化された工場です。訪問されたお客様が感動する工場作りを目指しましょう。

4月1日入社式を行った。昨年、不況の中で新入社員採用の是非を議論したが、将来への投資と考えて7名を迎えた。挨拶の概要を述べたい。
「皆さんは当社に入社することによって、社会に出る第一歩を踏み出しました。運命というのは、出合い、すなわち「縁」によってきまります。縁が織りなす結果として運命が決まります。こうして皆さんが入社することによって、当社と皆さんの縁が始まったわけですから、この縁が皆さんにとって良い出会いであることを願っています。
我々㈱協立製作所は建設機械を動かす油圧ポンプ、油圧バルブ及びそれらの部品を作っている油圧機器の専門製造会社です。「挑戦と創造」を企業理念にもち、「中小企業から中堅企業へ」そして「競合他社よりも優れた品質・コスト・納期で適格にお客様に対応できる信頼性の高い会社」を目指しています
2年前の9月、「リーマンショック」からアメリカ発の金融危機が起こり、百年に一度と云われる世界同時不況に突入していきました。当社はこの影響をまともに受けて、昨年大幅な受注の減少から一時帰休を実施したほどです。
しかし昨年の九月にお客様の在庫調整が終了し、受注は順調に回復してきました。今世界は、中国が圧倒的な回復力を示し、インド・インドネシアが中国に続いています。10月以降はアメリカも回復し忙しくなってくるものと予想されます。
仕事は人・物・金で動いています。仕事をしていて、人・物・金のすべてが、揃っていることはありません。どれかが足りません。つまり、仕事とは、「今ある条件を使って、知恵を出し、必要な条件をつくること」ともいえます。条件が不足しているから仕事があるのだ。「あれがないから、この仕事はできない」というより、不足している物をつくるのが仕事と積極的に考える。しかし、自分のまわりは不足している条件だらけということは多い。それでも、小さな第一歩を踏み出すことです。現在が出発点。道のりは遠いが、歩き始めればいつかは着きます。
皆さんは無限の可能性を持っています。しかし最初は仕事に慣れず、いろいろ苦労があるでしょう。まずは先輩の中でどん欲に仕事を覚えていって欲しいと思います。希望に満ちた今の気持ちをいつまでも忘れずにいてください。新鮮な心をもってしっかりと将来を見据えて、たゆみなく前進を続けてください。今、ここにいる皆さんが、将来の協立製作所を築いてくれることを心より願います。

昨年12月末話題の映画「アバター」を2Dで見たが、3Dで見たいと思い先月3D版で再度見にいった。圧倒的な映像に引きもまれながらも、昔見たハリウッド映画の西部開拓時代の白人とインディアンの戦いを思い出した。
つまり自然が豊かで、資源豊富で未開拓な発展途上国で、先進国が需要の大きくなった資源を獲得するために大規模な開発を行い、これに反対する先住民との戦いを描いている。ストーリーは先が読める展開であるが、それよりもCG表現の圧倒的なすばらしさのため、3Dで見たいと思い映画館に足を運んだ。
アバターを見ていない人のために、あらすじを谷口正次氏の記事の一部を引用して紹介する。
時は22世紀、アメリカの資源開発公社RDAは、地球の熱帯雨林のスケールをさらに大きくしたような原生林に覆われた宇宙衛星パンドラに、超伝導物質のレアメタルの鉱床を発見する。そのレアメタルの価値は1キログラムで約20億円だ。しかし、その鉱床は、ナヴィとよばれる先住民が、ジャングルの中で狩猟採集の生活をしている地域の地下に眠っている。
先住民といっても、緑色をした人間の体型そっくりの身体にしっぽがある。身長は約3メートル、今の地球人から見れば未開人ということになるだろうが、野蛮ではない。そして野生ではあるが、知性もある。聖なる山に棲む母神エイワを崇拝するアニミズム信仰の"ヒト"たちである。聖なる山には魂ノ樹と呼ばれる想像を絶する巨木が生えている。
RDAは、鉱石採掘に先立って、ナヴィを移住させ、聖なる山を破壊し、魂ノ樹を切り倒さなければならない。RDAは地球上の場合と同じように、まず懐柔策に出る。学校を作り英語を教え、地球人の文明を植えつけようとする。しかし、ナヴィは決してなびかない。業を煮やしたRDAは元海兵隊大佐をリーダーとするPMCの部隊を送り込み、パンドラ制圧を目指す。
侵攻に先立ち、スパイとして元海兵隊員ジェイクを送り込む。ただし、地球人はパンドラでは大気を呼吸できないため、ナヴィと人間の遺伝子を組み合わせてナヴィと同じ肉体を持った、ジェイクの思い通りに行動する化身すなわちアバターを作り出した。
アバターは、レアメタルが埋蔵されているナヴィの一部族オマティカヤの村に、情報収集のために送り込まれたわけだが、部族長の娘であり戦士のネイティリと恋に落ちる。そして、いつしか、森の中であらゆる生物とともに共生・進化してきたナヴィの多神教の世界に魅せられてしまい、ナヴィとともに侵略者と闘う決心をする。