思い出のレポート(1)

 今回のブログは7月10日のブログに掲載したが、見にくいので修正して再度載せることにしました。この報告書は経済産業省が中小企業の事例研究で弊社を「技術の範囲拡大型:生き残るために単加工から一貫生産、提案型企業へ」と題して報告した内容であるが、リーマンショック以前の調査研究のレポートである。㈱協立製作所を客観的に調査していただき、我々自身で気がつかないことが多数あった。この報告書は我社の強み・弱みを分析する上で大変役に立つと思う。

 

(1)創業以来の大きな技術変化

当社は工具の研削、刃付けを出発点とした企業である。当時、切削工具類は高速度鋼が中心であったが、そのうち超硬やセラミックに変わってゆく可能性も考えられ将来性がないと不安を感じていた。そのような時に紹介者を通じて油圧機器メーカーから部品の加工を持ちかけられた。これが当社の油圧機器との付き合いの始まりであり、当社の技術の原点である。当社は工具の研磨の技術を活かして研磨の単加工を請け負うようになっていたが、オイルショックの影響で受注が減少してきたため、茨城工場の機械加工と東京の本社工場の研磨加工とを組み合わせて一貫加工のできる企業として油圧機器メーカーに売り込みをかけた。このような形で営業を行っているうちに工作機械メーカーの紹介など幸運も重なっていくつもの油圧機器メーカー、建設機械メーカーとの取引を行うようになった。

 

この当時にあった大きな技術変化はNC旋盤の導入である。それまではフライス盤や旋盤などはすべて手動で操作するもので一人前になるのに10年もかかっていた。人を集めることが容易であると予測して建設した茨城工場であったが、実際には人の出入りが激しくなかなか技能者が育たない状況であった。この頃になるとNC旋盤の価格も中小企業の手に届く程度まで下がってきていたので、NC旋盤を購入し現社長が生産技術担当となってNC旋盤に関する生産技術を確立したところ大いに効果があった。

 

次の技術変化はスプールに関する一貫生産技術の完成度の向上である。機械加工と研磨加工の組み合わせによるスプールの一貫生産で油圧機器業界内での地位は確立されていたが、必ず競合の出現、値下げの要求があることを見越して自社のアイデア、生産技術を盛り込んだ工作機械を工作機械メーカーに改造させることにより他に追随できないワンチャックで機械加工ができる一貫生産技術を確立した。さらに斜め穴を開ける機構も工作機械に盛り込み技術の独自性を高め、これらを武器に油圧機器メーカーに提案営業を行うことができるようになり自社の技術力が高まり、油圧機器業界内で「研磨の協立」から「スプールの協立」へとブランド力を高めることに成功した。

 

このように当社は創業期をのぞき一貫して油圧機器、特にスプールを手がけているが、節目ごとに数次に亘り技術を変化させることによってスプールを中心とした油圧機器におけるオンリーワンの地位を確立してきている。

 

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                   『TPM改善活動発表会 社長所感』

 

思い出のインタビュー(2)

■モノづくりDNA

 「車が故障したら自分で直そうとしますか?」ほとんどの人の答えはNOだろう。モ

ノによっては修理するより新品を買った方が安いし、時間もかからない。しかし修理することは、そのモノの原理原則が理解できる。そして改善するために油まみれの手で試行錯誤しなければならない。それがモノづくりのDNAになるというのだ。「自分の会社の出来る範囲で出来ることをゆっくりとやっていく。うちは大量生産の会社ではない」ときっぱりと言い切る。同社が得意とする油圧部品やバルブ部品などの精密機械にはそんな匠の遺伝子が組み込まれている。

 

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工場内部の様子 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

55号ブログ写真②.jpgのサムネール画像 工作機械を巧みに操作する作業員

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■悩みのタネは人材育成

 「現地工場での人材育成は考えたことはない」あくまでも作業者。教えたところで未熟な知識と技術ですぐに別の会社に転職していく。精度が命の工作機の取り扱いは非常に複雑。一朝一夕には使いこなせない。「学卒が生産現場に入る日本が特殊。中国ではエリート扱い」と言う通り、優秀な人材を第一線の生産現場で確保することは難しい。更には、文革の影響で技術的知識を持った中間管理職クラスの年代が少ない上、若い世代には甘やかされて育った一人っ子が多いという中国独特の問題もある。

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製品の精密部品群

■上海の利点と戦略

 世界有数の国際都市である上海ならではの利点がある。
 「上海には世界中のメーカーがやってくる。これは日本よりすごい!」 資金や人材面で厳しい中小企業にとってこのメリットは大きい。つまり、自ら世界各地を営業しなくても、上海で製品が評価されれば、口コミで評判が広がり、ユーザーの方からやってくるのだ。

 さらに現地の営業戦略として「日本への売上げを30%確保すれば後はどこに売ってもいい」と現地の責任者に裁量権を与えた。進出当時の会社設立主旨からすれば、親会社の利益を優先するとの考えもあるが、あくまでも独立した一つの会社として世界を相手にする。
 「すでに世界的には日本の親会社より上海の方が有名では」と話していた。ちなみに日本の親会社の油圧ショベル用コントロールバルブのスプール(油の方向を制御する部品)は世界シェアの約45%にまでなっている。


■プライベート

 早くに上海に進出したため、進出を検討している大企業の役員をアテンドする機会に恵まれた。そして、関東理工系大学のテニス大会で2年連続ベスト4の実力を駆使して、当時唯一の娯楽であったテニスで人脈を広げた。「ほんとに公私にわたり色々なことで救われた」と振り返る。お陰で、出張の度にラケットを持っていくことに奥様が不審を抱き、上海まで連れてきて説明したという笑い話も。

 

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小唄を楽しむ高橋社長

高橋さんの一番の願いは「若手が自立してもっと会社を発展させる」こと。

 同社の生産技術部に在席し、イギリスへの短期留学の経験もある御子息は、先日、上海の大学留学を終えて日本に帰国。今は同社の最前線で活躍している。

「会社を任せる後継者を作り、その後は旅行好きな奥様とヨーロッパでも」と近い将来の夢を語る。

 意外な一面としては、三味線の伴奏で唄う小唄の松風流の名取。「松風裕日出」として休日は小唄を楽しむ。

■メッセージ                                    個人レベルでは「海外では自分の身は自分で守る」ということ。ロンドンのテロ事件の前日までイギリスに滞在していた。テロについてイギリス人の友人に「(一大事だが)イラク戦争の当事国である意識が国民にはあり、日本のようにセンセーショナルに報道していない」と言われ、危機管理の感覚の違いを感じたという。       会社レベルでは「自分達(会社)がなんのために中国に進出して仕事をするのか、目的をハッキリとさせること」基本中の基本である。中国ブームに乗って何となく進出、では成功しない。成功の陰には多くの企業が失敗している事実があることを見逃してはいけない。

 

思い出のインタビュー(1)

2005年8月茨城県上海事務所において上海で活躍する日本の社長と題してインタビューを受けた。仕事以外の個人的なことも掲載したいと申し入れがあり、趣味をはじめ多角的に人間「高橋日出男」を表現したいと言われ、緊張して8月の熱い夏の日に上海虹橋地区にある上海国際貿易中心ビルの事務所で約3時間にわたって副所長からインタビューを受けた。以下茨城県広報誌に掲載された記事を高橋論に思い出のインタビューとして載せることにした。

上海の社長さんに,かく聞きました

  第4回  株式会社協立製作所 代表取締役社長 高橋日出男さん 
(上海協立機械部件有限公司 菫事長)

 

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 中国における外資系企業の登録ナンバーは69番目。

 平成3年に油圧機器の部品を生産する上海協立機械部件有限公司を立ち上げ、世界的にみても早々に中国進出を果たした。15年近く経過した今でも、毎月1回以上は上海を訪れて、自分の足で情報をとり、自分の目で状況を確認し、自分の言葉で指示をする。

 「上海と日本を一番多く往復している茨城県人の1人じゃないの?(笑)」と世界を飛び回る多忙さを笑い飛ばすパワーの持ち主、高橋社長をご紹介します。

           高橋日出男社長

 

 

 

 

 

 

54号ブログ写真-2.jpg■中国進出は早すぎた!?

 「覚悟はしていたが、早すぎた!?」と笑いながら進出した当時を振り返る。「当然、工場が必要とするインフラ整備も不十分。また、空港にはタクシーなんて待っていないし、機関銃を持った人民解放軍が警備していた。食事をするにもオーダーは取りに来ないし、釣り銭は投げて返されるし・・・」ハード、ソフトの両面において外国人にはストレスの溜まる状況だった。
 現在の国際都市の風格からは想像もつかないが、事実、それがつい先日までの上海の姿。しかし高橋さんは、将来上海が必ず発展すると確信していた。

                                 上海協立機械部件有限公司

なぜ中国なのか

 (株)協立製作所は先代の社長である父と叔父が、昭和29年に研磨を生業とする会社として東京に設立。両親の苦労を解消させてあげたかった高橋さんは、大学を卒業して家業を継ぐ際に地方への事業展開を提案し、両親の故郷である茨城県に工場建設を決める。工場建設後も順調に事業は拡大。労働力不足を解消するためにスポーツ紙に求人広告を掲載し、応募してきた1人の中国人を通じて、入れ替わり立ち替わり50人の中国人を雇うことになる。
 「日本人より仕事の覚えが早く作業態度もまじめ」というのが高橋さんの中国人の印象。そうした中で大前研一氏の講演を聞いて海外進出の関心が高まり、中国をはじめ台湾、マレーシア、シンガポールなどを視察。そして、まだ日系企業の進出していない中国にチャンスを感じた。直接のきっかけは「茨城工場の増築、開発認可より、上海の方が早かったから(笑)」だという。

エコドライブ研修

11月25日、茨城経営者協会県西地区工場見学会が12社25名の出席を得て開催された。昨年までは県外の先進企業を見学していたが、今年は県西地区の会員会社を見学することになり、環境をキーワードにした見学会を行うことに決まった。そこで既に事務局の生井さんがエコドライブの教育を受け、約30%の燃費改善が得られたとの報告が有ったので、「エコドライブの研修」が提案され茨城県西自動車学校での見学・研修が幹事会で了承された。

 

1800年の産業革命以前では温室効果ガスは280ppmであったのが、2000年には379ppmに増加し、現在も増加し続けている。一番CO2排出が多いのは産業部門約30%、一般家庭部門が約30%である。車が排出するCO2は日本全体の20%で、自家用自動車が排出する割合はその半分10%とのことです。このような背景のレクチャーを受け、一周1.3kmの教習所のコースで一人ひとり車に乗って実験した。

 

県西自動車学校の菅原常務が助手席に座り、後部には弊社の飯塚総務部長が座った。車は2000ccのノークラ車。最初にいつも通りに運転してくださいと云われ、加速・減速・一時停止・進路変更を行った。結果は走行時間191秒・燃料消費量 8.0km/L・CO2排出量373.8gとなった。

 

次にエコドライブの研修を受け、同じコースを走行したところ走行時間は195秒・燃料消費量12.0 km/L・CO2排出量249.2gであった。改善率50%と信じられない数字になった。普段意識しないで運転しているのと少しの知識を意識して運転するのではこんなにも燃費が違うのか驚いた。

 

エコドライブの要領は①普通の発進より少し緩やかに発進する(最初の5秒で時速20kmが目安) ②加減速の少ない運転で車間距離に余裕を持つ ③エンジンブレーキを使うと燃料の供給が停止されるので、停止位置が分かったら早めにアクセルから足を離すことを意識して運転する。飯塚部長は10.0 km/Lから研修後   14.0km/L。私とは改善後の燃費でも2.0km/Lの差があることが分かった。

 

私の年間走行距離約15,000kmに置き換えると燃費で78,125円の改善、CO2排出量1,437kg削減、CO2吸収に必要な木の本数302本から201本と101本の改善を果たすことになる。いつの間にか運転が荒くなって、加減速が多くなっていた。これからは意識して運転を変え、習慣になるまで続けよう。

 

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NC旋盤技能競技会表彰式

 ヨーロッパから帰国した翌13日、日立建機ときわ会機械技能競技会の表彰式に大会会長として出席した。競技会は9月12日(土)20名の選手により、全国各地の参加会社で行われた。

 

私はときわ会の機械技能競技委員会の委員長を務めている。委員会は競技会の課題・学科・ルールを議論し、決定していく。NC旋盤の大会のため、競技に使用する機械は選手の所属会社で行われるので、選手1名につき立会い者2名の手配も委員会の役割に入っている。

 

私は表彰式の冒頭に『今回の大会は百年に一度と云われる厳しい経済環境の中でしたが、皆様のご協力により実施することが出来ました。競技会の目的は会員各社の「ものつくり」の技術・技能のレベルの向上を図ると共に、「ものつくり」の伝承を継続的に行っていくことです。しかし競技会ですから入賞できた方とそうでないない方が出来ます。「うまくいかないことを楽しめた時、成果は最大となる」と言われますが、上位入賞者の方々は、うまくいかないことを明確にして、それを克服することを楽しめたからではないかと私は考えます。』と挨拶した。成績は総合1位が日立建機の大塚卓也選手、ときわ会の1位が大橋機産の佐々木一成選手でした。おめでとうございます。当社の選手は入賞できませんでした。残念。

 

50号ブログ写真③.jpg                       総合1位 大塚卓也選手

50号ブログ写真④.jpg                     日立建機選手と競技会役員

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            ときわ会1位 佐々木一成選手

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               入賞者と競技会役員

 

私は11月に技能者のレベル向上を目的に機械技能競技会に準じた教育プログラムを作り、勉強会を開始しました。6名の作業者を2班に分け、週一回2時間を学科・プログラム作成・NC旋盤作業に指導者を配置して、1年の計画で指導していくことにしました。1年後の成果を見て、評価し、改善を行い根付かせていきたいと思っている。

 

我々は過去に技術・技能の固有技術で発展してきた会社である。切削工具の刃付け研削から始まり、油圧機器精密部品の研削、前工程の機械加工、後工程の熱処理、そして組み立て、試験、塗装と長い年月をかけ、ようやくポンプとバルブのOEM商品を作れるようになって来た。しかし固有技術だけでは会社の運営がうまくいかず、数年前から組織的な管理技術に力を入れてきた。管理技術と固有技術は車の両輪と同じである。バランスが悪いとうまく会社の運営をコントロールすることが出来ない。固有技術の継続的な発展の一つとしてNC旋盤の技能者教育に力を入れて行きたい。

2009年11月度朝礼

おはようございます。9月の月次決算が黒字になりました。単月度としては12ヶ月ぶりになります。全員一丸となって、世界同時不況に立ち向かった結果だと思います。改めてお礼申し上げます。お客様の在庫調整が終わり、需要数と生産数がほぼ同じになってきた結果、受注高は最盛期の半分まで回復してきました。まだ収益力は弱く正確な管理を行わないと、赤字に陥る可能性があります。中国の需要がダントツに回復してきました。インドは最盛期まであと一歩まで、インドネシアに回復の傾向が見られるようになりました。しかしアメリカの回復が弱く半年ほどずれ込んで、来年半ばと予想されます。ヨーロッパは来年後半、国内の回復は先がまだ見えません。従って受注が不安定のため、収益力の回復は弱く、不安定な状態が続くと思われますので、精度の高い管理を行い、収益力を確実なものにしなければなりません。

 

先月3週続けてマイナス在庫がゼロになりました。生産管理のコンピュータシステムで確実に仕事を行い効率の良い経営体質に変えていくため、つまり中小企業から中堅企業に経営の体質を変えるため、昨年の10月に生産管理改革プロジェクトを立ち上げ、一年掛かってマイナス在庫をゼロにすることが出来たことは、全員で目標に向かって一歩一歩前に進んでいけば、「必ず目標を達成することが出来る」と云うことを証明したわけです。

 

先週、技術・技能の伝承と技能レベル向上を目的に技能競技会のキックオフを行いました。6名の選手が登録され、来年の7月に社内競技会を行い上位2名がときわ会のNC旋盤技能競技大会に選手として出場します。上位入賞するに越したことはありませんが、目的ではありません。計画的に学科と実技の訓練を行うことで選手の成長を促し、技能の向上を継続的に行うことが目的です。中小企業から中堅企業に脱皮するためには、管理技術と固有技術の両輪が同じように力を発揮しないと会社はまっすぐに進むことが出来ません。

 

日本VE協会のVEリーダーの資格を取るために2名がエントリーされ、既に勉強に入っています。資格を取る勉強の過程で、物事の考え方が変わり仕事に生かされると思います。

 

最後に、24日に5S・TPM改善活動の発表会が行われます。前回の問題点を明確にして、発表されることを望みます。

欧州工作機械国際見本市見学番外編(2)

 大きな駅前広場に着いた頃は、辺りは明るくなっていた。大勢の通勤客や大きなバックをもった旅行者が駅構内を足早に行き来していた。駅の中を見物しているとアラブ系の中年女性に道を聞かれ、私も分からないと返事を返した。地元の人間に間違えてくれたことは、私が地元に溶け込むことを工夫をしていたからだと思う。

 

このミラノ駅は映画「アンタチャブル」(主演;ケビン・コスナー、ショーン・コスナー)のクライマックスシーンであるシカゴ駅階段での銃撃戦の撮影をした場所。ずいぶん前にこの映画を観たあと、10年ほど前だと思うが、トリノにあるお客様を訪問後、トリノ駅からミラノ駅まで急行列車で移動した。その時雑誌で当時のシカゴ駅の風情を残しているのはミラノ駅であるとの記事を思い出し、駅に到着したあと撮影した階段を見にいき、映画のシーンと重ね合わせて思い出していた。なにしろ私はこの映画が好きで3回も観ていた。

 

結局ホテルに帰るのに2時間もかかってしまった。次の日は再度ドゥーモ行きのコースを設定しなおし、道に迷いながらも45分で到着。帰りは迷わず走ってきたので30分でホテルに着いた。朝もっと明るければ、これほど迷わないのだが、まだ陽が上らないうちに走っている人は皆無で、6時ごろになるとジョギングしている人に数人会うようになった。

 

49号ブログ写真.jpgのサムネール画像ミラノからの帰路。モナコに宿泊したとき、私はF1レース(モンテカルロ)のコースを走るため、ホテルでコースが載っている地図をもらい夜のうちに準備をした。朝5時日が昇っていない街は暗く、なかなか地図の通りに走ることが出来なかった。というのは私が想像していたより道路の幅があまりにも狭く、こんな道路でF1が走ることが出来ないと思った。そこで海岸沿いにスタート地点に行き、コースを確認しながら走っていた。だんだん明るくなって回りの景色が良く見えるようになると、間違いなくF1コースだった。

一周約2.3km。道幅は一般道路と同じ幅で、路面も同じ、モンテカルロホテル前のヘアピンカーブはすごかった。こんなカーブを100㎞超のスピードで突っ込んでくる。「すごい」の一言に尽きます。

 

10年の間にヨーロッパ出張の度に、宿泊先の街をジョギングしてきた。思い返すと最初に走ったウィーンでは迷子になって1時間の予定が2時間半。ドイツのハノーバーは空港脇のホテルで、何もない真っ暗な道を。プラハの街は街全体が世界遺産に登録されていてすばらしい景観。そのほかドュッセルドルフ・バース・バーミンガム・プリマス・アムステルダム・ストックホルムの街を走ってきた。街を車で行くより、その国の様子が分かる。私が走る5時頃清掃員が道の清掃やごみの収集をしている。ほとんどがその国の人ではない人達だ。国の経済格差が朝の清掃員の人達を見ると分かるような気がする。6時頃になると朝食の準備をするレストランの様子など、その国の食の情報を見ることが出来た。

 

欧州工作機械国際見本市見学番外編(1)

オークマ欧州工作機械国際見本市(通称EMO)のもう一つの楽しみは、朝早く起きて市街地をジョギングすることである。おおよそ10km1時間から1時間半かけて、初めての街を走ることは車やバスから見る風景とは、まるで違う街の生活を見ることが出来る。またヨーロッパの出張では時差ボケで午前4時頃眼が覚めてしまう。部屋で横になっているよりも、朝の散歩やジョギングで体を動かしたほうが、はるかに体調が良いものである。

 

ミラノ中央駅から徒歩15分に位置するウェスチンホテルに到着すると、すぐフロントで地図を貰い、翌朝のジョギングコースを調べる。朝4時に目を覚まし、事前に用意したウェアーを着込み、ジョギングシューズを履いた。準備運動はロビーで行ったが、ロビーには誰もいなく、フロントの人が物珍しそうに見ていた。ホテルを出ると暗く信号機の光やビルの広告ネオンで道路が判別出来るだけであった。ホテルの玄関前にはタクシーが56台待機していたが、運転手は客がいないのか車から出て数人がタバコをふかしながら、談笑していた。一瞬私のほうを見たが、客でないことがわかると無視するようにおしゃべりを始めた。

私は地図を見易いように、また必要な場所が表になるように、細かく折りたたみポケットに入れた。道に迷ったとき、長い時間もたもたして地図を見ていると、観光客とさとられ被害にあわないとも限らない。地元の人間になりきることがリスクを軽減するコツである。気温は1516度、半袖のTシャツにジョギングシューズ、ゴルフの帽子をかぶり、ホテルの名刺と地図、それに20ユーロをポケットに入れ走り始めた。20ユーロは最悪道に迷って帰れなくなったとき、タクシーを捕まえホテルまで帰るためである。

 

最初に計画したコースはホテルを中心に右回りで、観光名所のドゥーモと隣接する教会に行って帰る予定でした。最初は外国の見知らぬ街を走る昂揚感もあり、体は軽く感じられ、頭に入れたコースを快調にミラノの街を走り続けた。しかし広い通りは十字路だが、少し狭くなった通りはロータリーになっていて、ロータリーを中心に放射状に道が幾つもあり、非常に道が分かりにくい。一本道を間違え、次のロータリーで間違えると方向感覚が狂ってしまう。走り初めて40分様子がおかしいと思い、地図を見た。自分は地図のこの地点にいるだろうと思い、通りの名前や住所の番地を見たが、該当する地名がなかった。

 

そこでいくつかの番地と通りの名前を覚えて、走り回って10分。ようやく記憶した通り名が眼に入ってきた。自分のいる場所の位置が分かったので、目的地のドゥーモを諦め、道が分かりやすいミラノ中央駅に向かった。ヨーロッパの都市部でのジョギングは、道が間違いやすいことは何度も体験していた。迷子になったのも初めてではなく、何度か体験していたので慌てることはなかった。

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                 『ドォーモ

 

欧州工作機械国際見本市見学記

オークマ欧州工作機械国際見本市(通称EMOショー)を10月5日(月)から10月12日の日程で、オークマ㈱の森専務を団長に17名の視察団に参加した。我々製造業は製品を作り出す道具である工作機械の動向を注視し、常に先端の機械・システムを追及することは大事なことと考えている。EMOショーは日本国際工作機械見本市(通称JIMTF)と米国シカゴショーの三大工作機械見本市の一つで、2年に 1回開かれている。ドイツのハノーバー市の開催が中心で2回続けた後にパリ市で開催、またハノーバー市に戻り2回開催した後、ミラノ市で開催される。つまり12年間のサイクルでハノーバー⇒ハノーバー⇒パリ⇒ハノーバー⇒ハノーバー⇒ミラノの順で行われる。近年このサイクルを見直ししてハノーバー市に固定化されるようだ。

    47号ブログ写真②.jpgミラノ市郊外の会場はハノーバーよりも一回り小さい感じであるが、建物はシャレた作りと色彩が眼を引いた。入り口には各国の言葉で、日本は「ものつくり魂」、アメリカは「THE KNOW HOW」、中国は「制作能力」等、製造業の理念が書かれたポスターが眼に入った。最初にオークマさんのブースを訪問し、花木社長・オークマヨーロッパの青山副社長の歓迎を受けた。展示機械の説明を聞いた後、私は主に共和工機の増田副社長と一緒に順路を決めて、会場の展示機械の傾向を話し合いながら、丹念に見て回った。

 

展示されている機械は原子力発電設備のタービンのハウジングやシャフトを加工する大型の複合NC旋盤・五面加工機・M/Cが多く展示されていた。新興国向けのインフラ整備関連をターゲットに売り込みを図る意図が十分に読み取れる。我々の仕事の建設機械向け油圧機器は中国を初めとする新興国のインフラ整備に直結するので、中期的な展望は期待出来そうだ。来年に向けての予測が確信に変わるひそかな期待感が生まれた。オークマの方に質問すると、私の感想と同じ世界各国の工作機械メーカは、日米欧よりもBRICsを初めとする新興国のインフラ整備関連の分野の回復が期待されるとのことでした。

 

年前のEMOは中国メーカの多さとインドメーカのマシニングセンター、ブラジルメーカのマザーマシンと云われる門形マシニングセンター、ロシアメーカが眼を引いた。私はその時不覚にもインドやブラジルでNC工作機械が生産できるのか想像もしていなかったので、大変驚いた。今回も中国は数多くのメーカが出展し、韓国・台湾も頑張っていた。確実に新興国BRICsが工作機械の市場で存在感を増してきたように思う。一方日本は5大工作機械メーカのうち2社が出展を取りやめ、出展会社数が20年前に較べると激減しているのが印象的でした。日本の存在が、失われた15年の停滞で確実に薄くなっていくのを複雑な思いで今回の視察会で感じていました。

 

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5S・TPM改善発表会

 9月30日(水)朝8時40分から午後3時15分まで、22チームによって5S・TPM改善発表会が行われた。発表は現場の活動板の前で1チーム10分 ①分科会名・チーム名②チームメンバーの構成とチームリーダ・発表者名③活動エリア④改善の目的・目標⑤活動の実施状況⑥活動の成果⑦個別改善事例の紹介⑧反省と次回に向けての抱負の順に報告が行われ、審査員は私を含め4名でその場で採点を付けていき、その合計点の平均値で優劣を競うようにした。

 

46号ブログ写真①.jpg私は30年程前にお客様のQCサークル発表会に出席し、サークルメンバーが皆で改善活動をする様子を聞き衝撃を受けたのを、今でも鮮明に覚えています。当時は従業員が少ないこともあって、改善は私と顧問の二人で行っていたので、従業員が皆で改善をするということが奇跡に思え、協立でも取り入れようと試みました。しかし様々な試みをしたが、定着は難しかった。挫折しては再度始めるということを繰り返していました。失敗した原因は推進体制にありました。当時従業員は20名位ですから事務局は私が務めました。しかし私は工場の営業・製造・生産技術・生産管理・品質管理・総務・経理を一人で務めていましたので、どこかの部門が忙しくなるとフォローが出来なくなり、改善の時期が過ぎてから報告をさせようとすると「やっていません。連絡がないからやめたと思った。忙しい。」等々やらなかった理由を並べ立てていました。再度仕切りなおしをすると品質問題でお客様に報告、新規の仕事の打合せ、新規の仕事の設備投資・レイアウト・見積などが続くと又もとに戻ってしまうという連続でした。

 

46号ブログ写真②.jpgあれから30年、2007年9月14日に5S・TPM改善活動のキックオフを宣言し、5Sを中心に改善活動を始めました。推進体制は本部長が私、副本部長が広瀬工場長、事務局が佐々木工場長付で6ブロック24チームの組織体を作りました。3ヶ月に1回、成果の発表会を行い、優秀チームには報奨金を授与しました。

 

46号ブログ写真③.jpg5Sが一定のレベルに達したので、2009年6月にTPM活動に移行することを決め、9月30日が最初の発表会になりました。22チームの報告は未熟なところが多くあったが、私が30年前に奇跡に思えた、皆で改善活動を進めていることに胸が熱くなりました。30年掛かってようやく始まることが出来た。さーこれからだ。

 

改善発表の優秀チームと優秀分科会長の写真を掲載して、労に報いたい。

最優秀賞  品質保全分科会 特攻隊Aチーム     桝井リーダー

準優秀賞  品質保全分科会 エキス・マキナチーム  大木リーダー

準優秀賞  5S分科会   出荷係チーム      篠崎リーダー

努力賞   品質保全分科会 TEAM-Uチーム   窪田リーダー

努力賞   品質保全分科会 増渕チーム       増渕リーダー

努力賞   計画保全分科会 ブラックムラーノチーム 藤田リーダー

 

最優秀分科会長賞 品質保全分科会 高橋課長代理

準優秀分科会長賞 計画保全分科会 清水課長代理

 

おめでとう。

 

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