11月8日(日)大洗ゴルフ倶楽部の霜月杯に出場し、グロス79ハンデキャップ12ネット67の5アンダーで優勝しました。大洗ゴルフ倶楽部は月例競技の他に寄贈杯・倉田杯・師走杯・耐寒競技・スクラッチ競技・倶楽部選手権競技・理事長杯等々、年間で26の競技会が開催されている。ラウンドの距離は競技会によってフロント(6188ヤード)・レギュラー(6687ヤード)・バック(7190ヤード)と区分けされている。
今回の霜月杯はフロント(6188ヤード)でのスタートで、1番402ヤード・パー4 ドライバーは230ヤード右ラフ1m、3オン2パットでボギー、2・3番ボギー、4番のショートホールでようやくパーを取り、前半を5オーバーの41で上がった。 後半の10番486ヤード・パー5は4オン10mの長い距離を1パットでパーを拾ったが、11番・12番はボギー、14・15番はパー、16番はボギー、17・18番はパーで3オーバーの38とスコアメイクすることが出来た。大洗ゴルフ倶楽部のベストスコア79でホールアウトすることが出来た。ドライバーの調子はいまひとつだが、アイアンとパターの調子が良かった結果だと思う。
前日は会社の社内コンペで、88でホールアウトして散々だった。パーティーの時、皆に「明日は大洗で競技会があるから今日は練習だ。明日は大丈夫。」と負け惜しみを言っていたのが、本当になってしまった。思えば叶う?
私の目標は2010年12月までに、オフィシャルハンデキャップをシングルにすることです。ゴルフ暦は長いのですが、練習もしないでいつも88~105くらいの スコアでラウンドしていた。今年の1月からゴルフの練習と基礎体力をつけるために、週に2回筋トレとジョギングを行い、シングルを目指している。1月からベストスコアは78、ワーストスコアは99、平均は88.1。良い時と悪い時の差が大きすぎる。ゴルフは難しい。
頑張ろう。
8月28日(日)、アジア下館カントリークラブ(茨城県桜川市)の副理事長杯決勝で3位に入りました。副理事長杯の予選は16日(日)に行われ、43・45の88で回り、ハンディキャップ15、ネット73の1オーバーで決勝進出の16人に入ることが出来ました。
28日の決勝当日、7:36の早いスタートですが、天気は晴れ。さほど気温は高くなくコンディションは上々でした。1時間前にゴルフ場に行き、練習を入念に行いました。当ゴルフ場は自宅から5分と近いためか、体調もよかった。
アジア下館カントリークラブ(6,878ヤード)は開場が昭和35年で、戦略性にとんだ平坦な林間コースです。残念ながら大分前に松林で覆われていたコースの松が松食い虫の被害を受け、景観が変わってしまいました。
1番(538ヤードパー4)ではドライバーがフェアウェイ中央を捉え、2打目は4番アイアンで狙いどおり、残り95ヤードをアプローチでグリーンにのせて、惜しくもバーディーパットを外しパーで上がりました。
2番(437ヤードパー4)はハンディキャップ1の難しいコースです。ドライバーをミスショットし、左に引っ掛けてしまい、運よく150ヤード先の木の真下に落ちました。あぶなかった!! 2打目4番アイアンで残り80ヤードのところまでナイスショット。3打目サンドウェッジでピンそば50㎝によせパー4でピンチを切り抜けました。これで落ち着きを取り戻して、アウトコース4オーバー2バーディの38で上がることが出来ました。
45分の昼食後、10:48分インコーススタート。10番(462ヤードパー4)は大きくフックしダブルボギー、11番(177ヤードパー3)は5番アイアンで再度大きくフックしダブルボギー。なぜフックするのか原因がわからなかったが、気を取り直してインコース7オーバーの43で纏めることが出来ました。
トータル81のネット66で6アンダー。予選の88と決勝の81でトータル169、ネット139の5アンダーで3位になりました。ちなみに2位は138、 優勝者は128でした。
この日は公式の月例競技で気持ちを集中することができ、何度かミスをしても気持ちを強く持ち続けることが出来たのが、好成績につながったと思っています。ゴルフの経歴は35年位になります。最初にプレーしたのは茨城県の和尚塚カントリークラブ(現桜川カントリークラブ)でした。72・74の146が、私の最初のスコアでした。それから父の運転手として年に4~5回ゴルフをプレーしていました。社長になってから月一ゴルファーとして成績が良いとストレス解消になり、成績が悪いとストレスがたまり、いつも思うように出来なくストレスがたまるスポーツぐらいにしか思っていませんでした。
昨年の3月転機が訪れました。ダイエットを始めて4~5ヶ月後、身体が動くようになっていく感覚が、体の隅々に伝わってきました。ダイエットの方法はカロリーの過剰摂取を適正にし、筋肉を付けてカロリーを消費させることです。しかしジムに行って単調な筋トレとランニングマシンによる走りこみでは長く続けるのは難しいことです。はっきり言って楽しくないですネ。そこで私はダイエットを目的、食事制限とジムでのトレーニングを手段と考えるのをやめて、目的はゴルフが上手になること。トレーニングは手段であると考えました。ゴルフは上手になれば楽しくプレーすることが出来ます。楽しければ長続きすると考え、結果としてダイエットも成功すると考えた訳です。そこでメンバーコースでハンデキャップを取得し、ハンデキャップをシングル(9以下)にすると明確に目標を決め、トレーニングをしてきました。
このように考えていくとダイエットも楽しく出来ます。私はゴルフを選択しましたが、自分で楽しいと思うことであれば、何でも良いと思います。目的と手段を取り違わないようにしていくことが決め手になると思います。時間の使い方も上手になり生活が変わりますよ。現在の私の体重は目標の70kgを達成、体脂肪率は20%以下が目標ですが、現在21%です。今年中に69kg・19%を達成したいと思っています。「強く思えば達成できる」と信じて。
日経ビジネスの坂田亮太郎記者による「海に浮く空港」の記事を興味深く読みました。航空需要の拡大と利便性を向上するため、羽田空港の年間発着回数を大幅に増やす。斬新な建築工法で環境を破壊しないで、海の上に空港を作る。私は羽田空港の拡張工事は知っていたが、中身については知る術がなかった。今回の記事を読んでよく理解できたので、ぜひ紹介したい。
滑走路の下を自由に水が流れる
出張や旅行で、次に羽田空港を使うことがあったら、窓際の席を予約することをお勧めする。運が良ければ、今しか見られない珍しい光景を目にすることができるからだ。
建設が進む羽田空港のD滑走路。多摩川の河口にかかる部分の土台は桟橋構造になっており、滑走路の下を水が流れる (提供:羽田再拡張D滑走路JV 2009年6月23日撮影)
写真の手前に見えるのが、羽田空港の4本目となる滑走路だ。正式にはD滑走路と呼ばれる。2500メートルの滑走路のうち、東京都側(写真では左側)の約3分の1の土台が、鋼鉄製の桟橋でできている。残りは従来の拡張工事と同様に、埋め立てで土地を造成している。
今回、すべての土台を埋め立てにしなかった理由は、環境への配慮からだ。D滑走路の一部は、写真の奧に見える多摩川の河口部分にかかっている。土台すべてを埋め立て構造にしてしまうと川の流れを遮ってしまう。そのため、滑走路の下でも水が自由に流れるように、土台を桟橋構造にしたのだ。
桟橋の下には、滑走路を支える鋼管が無数に林立している。ステンレス製のライニングで覆われ、サビを防ぐ対策も万全だ (写真:村田和聡)
桟橋を支えているのは海底に打ち込まれた鋼鉄の柱だ。東京湾の水深は羽田沖で14~19メートルで、さらに海底から下に20メートル近くは、軟弱な地盤になっている。
そのためジャンボジェット機でも安全に離発着できるように、直径1.6メートルもの太さの鋼管を海底70メートルの深さまで打ち込んである。
海水にさらされても100年使える耐久性
その鋼管の上に設置されるのが「ジャケット」と呼ばれる鋼製のユニット構造物である。 6本の杭を1組にして1基のジャケットを設置する。ジャケット1基の大きさは幅63メートル、奥行き45メートル、そして高さが32メートル。13階建てオフィスビルに相当する大きさで、1基の重さは約1300トンにも及ぶ。
13階建てオフィスビルに相当する大きさの鋼製のジャケット。地上で組み立て海上を曳航する (写真提供:羽田再拡張D滑走路JV)
今回、多摩川の流れを遮らないように桟橋構造を採用したが、課題はサビとの戦いだった。海水を常に浴びる環境でも滑走路は100年間使用できる耐久性が求められた。 ジャケットの下面はサビに強いチタン製のカバープレートで覆われているほか、鋼管もステンレスを使って耐海水性能を高める特殊な表面処理が施されている。
東京ドーム40倍の広さ、東京タワー100塔分の鋼鉄
ジャケットを製作しているのは新日本製鉄とJFEホールディングスの2社だ。 両社はそれぞれ地上の製作工場でジャケットを組み立て、船で曳航して羽田空港まで持ってくる。地上で事前にジャケットを作り込んでおくことにより、気象条件によって大きく左右される海上での作業を極力減らすことができる。
空から見ると巨大なジャケットもブロックのように見える (写真提供:羽田再拡張D滑走路JV 2009年6月23日撮影)
これらのジャケットを全部で198基つなぎ合わせることで、海の上に約52ヘクタールもの"土地"が作り出される。これは東京ドームのグランドの40面分に相当する広さだ。
D滑走路とターミナルを結ぶ誘導道路も桟橋構造となっており、合計すると43万トン余りの鋼材を使用されている。東京タワーに換算すると、100棟分に匹敵する量の鋼鉄が使われているのだ。
実際に桟橋の上に立つと鋼鉄の滑走路の大きさが実感できる。 取材班が工事現場を訪れたのは今年3月上旬。据え付けられたジャケットは120基分で全体の6割程度に過ぎなかったが、それでもジャケットの上に立つと海面が見えなくなった。 岩盤にまで到達した杭のおかげで、近くでクレーン車など重機が動いていても床が揺れることはない。自分が海の上にいることを忘れてしまうほどだ。
ジャケットをつなぎ合わせている海上の工事現場 (写真:村田和聡)
41カ月しかない施工期間
今回の拡張工事の総事業費は5700億円にも上る。現在、日本国内で進行している建設事業の中でも最大級の1つだ。
海上の工事現場の上を飛行機がひっきりなしに飛ぶ (写真:村田和聡)
大手ゼネコンの鹿島が幹事会社となり、海洋土木や港湾建築工事を引き受ける建設業者(マリンコンダクター)や鉄鋼会社など15社が「羽田再拡張D滑走路建設工事共同事業体」を結成して工事を進めている。
これだけ大きな事業であれば、通常なら7~8年の施工期間が設定されるところだが、今回はその約半分の41カ月(3年5カ月)しか与えられていない。しかも、今回の工事には羽田空港特有の難しさがあった。
最大の課題は、工事に使う重機に「高さ制限」があったことだ。D滑走路のすぐ横には、ラッシュ時ともなると2分に1回の頻度でジャンボジェット機が離発着を繰り返すA滑走路とC滑走路がある。そのため、飛行機の運行を妨げないよう、クレーンなどの高さが厳格に制限されていたのだ。
飛行機の飛ばない夜間であれば背の高い大型重機も使えたが、昼間の時間帯も工事を進めなければ短い工期に間に合わない。そこで今回の工事用に特別に改造された重機も投入された。その1つが、ジャケットを据え付ける「低頭起重機船」だ。
ジャケットをつり上げる低頭起重機船。今回の拡張工事のために改造して高さを低く抑えた (写真:村田和聡)
陸のクレーン車に相当するのが起重機船である。低頭起重機船はクレーンに相当する部分が途中から曲がったような構造になっている。 高さ35メートルのジャケットを釣り上げた状態でも、海面からの高さが50メートル程度になるように設計されている。これならば、滑走路近くの厳しい高さ制限にも抵触することはない。
発着能力は年間10万回増えて約41万回に
起重機船以外にも羽田空港周辺には「働く船」が集結している。 軟弱な地盤を改良する「サンドコンパクション船」や資材を運搬する「バージ船」などが頻繁に往来する羽田沖は、さながら海の工事現場とも言うべき様相を呈している。
共同事業体で接続部・桟橋工区の田中秀夫所長(鹿島から出向)は「東京湾の中でも、とりわけ羽田周辺は航行する一般の船舶が多い。作業船が安全に往来できるように、衛星なども駆使して運航を管理している」と語る。
D滑走路の拡張工事は365日24時間休みなく続けられている。計画通りに工事が進めば、2010年10月に新滑走路の利用が可能となる。年間の発着能力を現行の30.3万回から40.7万回へと一気に34%も増えることになる。
「農村へ行け」と言われても...
また、"上山下郷(農村へ行け)"のスローガンの下、大学卒業生を農村官僚として登用する運動も 就職難を解消する方策として奨励されている。2008年に始まったこの運動に応じて農村官僚になった大学卒業生は2009年5月末時点で既に13万人に達したと公表されている。
大学卒業生には農村官僚となることで大学4年間の授業料免除や補助金支給など種々の優遇措置が供与されることになっているが、大学卒業が都市居住権の確保という一面を持つことから、中国政府の掛け声とは裏腹に農村行きを志願する応募者は極めて少ないのが実態である。
これには、「一度農村へ行けば二度と都市には戻れない」という恐怖感も大きく作用しているようだ。(注2)
(注2) かつて中国では大学卒業時点で"分配"と呼ばれる就職先の振り分けがなされ、農村行きを命じられた者が都市に戻ることは厳しく制約された。大学生の親たちにとってこの昔の記憶は抜きがたいものがあり、子供の農村行きには大反対するのが常である。
700万~800万人の就業を確保して就職難を解消することが至難の業であることは自明の理だが、高等教育を受けた大学卒業生の失業者が野に満ちれば、社会不安が増大することもまた自明の理である。従い、中国政府としては大学卒業生の就業率を高めねばならず、そのためには2009年のGDP成長率8%以上を確保することが必要なのである。
2009年大学卒業生の卒業半年後の就業率がどうなっているか、今後の中国経済の動向を見つつ就業率も見極める必要がある。
「大学卒業生=エリート」という思い込み
さて、1930年代の大学卒業生の失業はエリートとして高給待遇を求める理想と現実の乖離によるものであったが、現在の大学卒業生の失業は理想の追求を許さない現実によるものである。
30年代には大学卒業生は極めて限定されたエリートであったし、49年の中華人民共和国成立以降も大学卒業生は依然としてエリートとして遇された。ところが、99年を起点として大学の入学枠が拡大されたことで大学生は従来のエリートの地位から滑り落ちることとなった。
しかしながら、親たちは「大学卒業生=エリート」という従来の考え方から抜けきれず、無理をしてでも子供を大学へ入学させて卒業後の将来に過大な期待を抱く。子供たちはこれに応えようと努力するが、就職は思い通りにいかず、就職戦線をさまようこととなる。 「大学卒業生=エリート」という思い込みが払拭されるまで、中国の就職戦線は膠着状態を続けるだろう。 と結んでいる
我々日本人は、日本の大学卒業生数が56万人で、卒業生数だけでも中国の2008年559万人は日本の約10倍であることを肝に銘じて少子高齢化社会を乗り越えて、人口を最低でも維持していくことを真剣に考えなければならないと思う。
7月27日(月)付読売新聞の7ページに【中小エクセレントカンパニー】という表題の記事に当社が 紹介されました。7月初め頃電話で取材の申し込みがありました。記者の方によると常陽銀行で情報を得て取材対象会社にピックアップされたそうです。10日(金)10時に来社され、最初当社の会社概要を10分位パワーポイントで説明し、創業時から現在に至るまでのことを熱心に質問されました。私にとって一般紙の取材は初めてなので、記者さんが理解しやすいように出来るだけ専門用語や業界用語は使わないで、質問に答えるようにしました。勉強熱心な方で事前に協立製作所のホームページをチェックし、我々の業界の事情を理解した上で記事にしようとしていました。約1時間半質問が終了し、1時間程工場見学を行いました。見学終了後1時間くらい最近の世相の意見交換を行い、私にとっても有意義な時間を過ごしました。
最初、20日(月)に掲載されるとのことでしたが、数日前に27日(月)に変更になると連絡がありました。読売新聞茨城版に記事が掲載されると思っていたのですが、全国版に載っていましたので、いろいろな方からお電話を頂戴しました。東京に住んでいる会長に連絡したところ「記事は見逃してしまったが、何年も前に協立本社を退社した人が協立製作所の記事を見て、懐かしくなって電話をしてきた」とのことでした。私も25年前に大変お世話になったお客様から電話を頂戴し、近況報告や励ましの言葉を頂きました。
【中小エクセレントカンパニー】をキーワードに記事を書かれていましたので、私にとっては恥ずかしいものでした。なぜかというとエクセレントカンパニーは総合力の優れた企業に使われる言葉です。まだ当社にはふさわしくありません。しかし私は常々社員に「中小企業から中堅企業に脱皮しよう」とか「中堅企業にふさわしい仕事のやり方に変えていこう」と話しています。将来真にエクセレントカンパニーと呼ばれる会社を目指して頑張って行きたいと思います。
世界同時不況は中国に大きな影響を及ぼしてきている。かねてより中国は8%以上の経済成長を 維持しないと失業問題が発生し、失業者が増えてくると社会不安が増してくる。中国は世界の工場として発展した表の顔と格差問題や公金横領の横行など不正社会の裏の顔も持っている。失業問題をきっかけに各種の不満が爆発し、各地で暴動が頻発に起こってくる。その為、中国政府はあらゆる方策を使って8%の成長を達成しようと躍起になっている。しかし、大学生の失業問題は深刻で、早晩大きな問題に発展する可能性が出てきた。
中国の大学生の就職事情について、日経ビジネスに掲載された北村豊氏(住友商事総合研究所 中国専任シニアアナリスト)の記事を紹介していきたい。
大学卒業生数は2003年から毎年約60万~80万人のペースで増大している。直近の2007、2008年で見てみると、大学卒業生数は、2007年が495万人、2008年が559万人であったが、それぞれ未就職のまま失業者となった人は、2007年100万人、2008年150万人と言われている。
2009年の大学卒業生は611万人であるから、これに上述した就職浪人を加えると700万~800万人が2009年の就職戦線の参加人数となる。2008年の日本の大学卒業生数は56万人であるから、卒業生数だけでも中国の2008年559万人は日本の約10倍である。
日本の場合は2009年も大学卒業生数はほぼ横ばいの56万人であったと思われるので、中国の2009年611万人は約11倍となる。そこに就職浪人が加わると、その比率はさらに拡大して12.5~14.3倍となるわけで、いかに中国の就職戦線が厳しいかが理解できると思う。
大学数が10年間で886校増
こうした大学卒業生の急増、それはひとえに大学数の増大に起因する。1998年に1022校であったものが、2007年には1908校と886校も増えた。これに伴い1998年に341万人であった学生総数は、2007年には1885万となり10年間に1544万人も増大したのである。
経済成長著しい中国はその指標であるGDP(国内総生産)が1998~2007年までの10年間で平均9.63%の伸びを示したが、だからと言ってすべての大学卒業生に大学卒業生としての矜持を保つ形で就職させるだけの体力を雇用する側の中国企業が備えているかというと否である。
ただでさえも即戦力の人材を求める中国企業は、もともと実務経験のない新卒者の採用を好まない傾向が強かったが、世界金融危機の影響による経済不況はさらにその傾向を強め、中国企業の新規採用予定数は大幅に削減された。
こうした前提条件下で愛知県の人口741万人と同規模の700万~800万人が就職先の争奪戦を繰り広げているのが、中国の2009年就職戦線である。
国有企業が20万3000人雇用する計画
2008年12月20日に北京航空航天大学で挙行された「日中青少年友好交流年」の閉幕式に参加した国務院総理の温家宝は、その後に同大図書館で開催された学生代表との懇談会で次のように述べた。
来年の大学卒業生はおよそ650万人だが、来年の経済成長率の目標を8%として計算すれば、経済成長率1%当たり100万人の就業問題を解決できるから、最大努力すれば900万人の就業問題を解決できる。この900万人には650万人の大学生が含まれているので、我が国政府は大学生の就業を解決すべき課題の先頭に置かねばならない。
こうした背景の下、中国政府は大学卒業生の就業率を増大させるべく種々の方策を繰り出している。
2009年5月26日、国務院国有資産監督管理委員会は傘下の中央企業(注1)99社が2009年大学卒業生を合計20万3000人雇用する計画であると発表した。この数字は昨年の雇用人数の7.08%増であり、世界金融危機による不況下にあることを考慮すると中国政府の「就業率」引き上げのための配慮ということができる。
(注1)中央企業:国有資産監督管理委員会直属の国有企業、その数は2009年5月末時点で138社。
大前研一『ニュースの視点』2009/7/28特別号に、心に留めておきたい"30"言葉というのがありました。この"30"言葉は、私の59年の人生の節目で体験したこと、全てに当てはまります。改めてこの"30"言葉を思い返して今後の糧にしていきたい。
1.安楽な日々は過ぎ去る、充実した日々は積み重る
2.楽を求めるほど苦しくなり、夢に向かうほど楽しくなる
3.うまくいかないことを楽しめた時、成果は最大となる
4.決意は伝えなくとも伝わる
5.罰を与えず、夢を与える
6.苦境に挑む姿が他人を育てる
7.明日やるというウソ
8.歩き出すと道が見えてくる
9.できない理由はできる理由
10.批判に感謝した時、批判は消え去る
11.成長するほど他人の長所が見えてくる
12.万策尽きた時、あきらめないという名案がある
13.とことんやると他人と違うものになる
14.一粒の雨が海になる、一粒の汗が未来になる
15.何でもとことんやると自分らしくなる
16.どんな時でも手法は百万通りある
17.商品に魂が入ると作品になる
18.大事なものほど身近にある
19.すべては自分で選んだこと
20.他人を変える最良の方法は、自分を変えることである
21.無駄な努力はない、成果は出ずとも成長している
22.決意とはいかなる困難をも受け入れること
23.できるかできないかではなく、やるかやらないか
24.信用とは努力である
25.限界は自分でしかつくれない
26.今までより、今から
27.何をするのかよりも、なぜするのか
28.謙虚な者ほど大きく見える
29.大変とは、大きく変わること
30.本当に自信がある時は腹が立たない
皆さんも一つ一つの言葉を自分の体験に当てはめ、体験していないことは経験としてこの言葉を大事に記憶してください。我社の社員に贈ります。
7月20日から23日の予定で上海協立に行ってきました。昨年の12月に訪問してから約7ヶ月ぶりになります。1990年に上海協立機械部件有限公司を設立してから7ヶ月も訪問しなかったのは今回が初めてです。上海に会社を作った経緯は後日「上海への道」で連続して述べて生きたいと思います。
上海協立機械部件有限公司の張恵強総経理(社長)と呉敏財務部長を紹介します。 張総経理は日本人以上に「ものつくり」大好き人間で、工程設計・冶具設計・工具設計・NC旋盤やマシンニングセンターの段取り・機械設備の修理等に精通している珍しい上海人です。私との付き合いは22~23年になりますが、中国社会の激しい変化の中を、生き抜いているたくましい人です。
呉財務部長は上海協立を設立して半年後に入社した人です。会計士の資格を持ち、 上海協立が輸出型の企業で通関業務を円滑に行う必要性から、通関士の資格を取り、交渉力のある優れた女性です。
7月22日、上海は皆既日食が見られる地域の一つでした。お客様の事務所があるビルの一室で打合せをしていたとき、急にあたりが暗くなり、窓から見える景色は真っ暗で高架道路を走る車のヘッドライトが印象的でした。あいにく朝から曇りで小雨がぱらついていたため、皆既日食はテレビで見ました。
経済産業省の外郭団体である独立行政法人中小機構基盤整備機構経営支援センターより中小製造業の技術経営に関する調査研究報告書が届きました。今年の初めに中小機構から調査研究のためインタビューの申し入れがあり、先進事例集の23事例の中の1事例として㈱協立製作所が取り上げられましたので、紹介します。
先進事例23事例では、①技術範囲の拡大型②技術の専門型③自社製品開発型④事業構造の再構築型⑤用途開発型の六つのパターンとその複合型に分類しています。弊社の場合は、「技術範囲の拡大型」で「生き残るために単加工から一貫生産、提案型企業へ」と題して(1)企業概要(2)創業以来の大きな技術変化(3)バブル崩壊以後の大きな技術変化(4)長期視点の技術戦略(5)技術マネジメント(6)国際化への対応(7)知的財産の活用(8)まとめ の八項目で我々の企業を分析しています。
㈱協立製作所という企業を客観的に分析した研究報告書を読んでいくと、自分達では気がつかない事が多々あり、大変参考になりました。また22事例の他のパターンの企業の調査報告書を拝見すると、㈱協立製作所の将来の方向性を探る一助になると思いました。