最近の出来事

2014年度 入社式挨拶

皆さん入社おめでとうございます。

私は社長の高橋です。皆さんの入社を、全社員を代表して心からお祝いいたします。

 

皆さんは当社に入社することによって、社会に出る第一歩を踏み出しました。運命というのは、出合い、すなわち「縁」によってきまります。縁が織りなす結果として運命が決まります。こうして皆さんが入社することによって、我社と皆さんの縁が始まったわけですから、この縁が皆さんにとって良い出会いであることを願っています。

 

今、世界を取り巻く政治・経済は、先進国であるG8からロシアを外しG7で制裁を行うとしていますが、世界経済を不安定化要因として危惧されています。アメリカはシェールガス革命でエネルギーコストを大幅に下げることに成功し、経済は堅調であるといわれています。中国経済は景気減速しているものの昨年から底を打って緩やかな回復をしていますが、金融問題で不安定な状態になっています。一方日本経済は東日本大震災の復興が本格し、建設機械の需要が上向いてきました。また4月1日からの消費税増税とジーゼルエンジンの排気ガス規制による建設機械の値上で、昨年から買い込み需要で上向きましたが、2014年度はこの反動が心配されています。日本は円安株高政策で、一部の輸出大手企業を中心に明るさが戻ってきていますが、まだ実体経済は予断を許しません。

 

我社は日本経済に大きな打撃を与えた「バブル経済の崩壊」を乗り越え、「ピンチの後にチャンスあり」の格言通り、中国市場の成長が始まったチャンスを捉え、他社に先駆けて積極的な経営を行い、第二の創業といわれる躍進を果たしました。我社は常にピンチを乗り越え、チャンスに変えて、成長してきました。今後も我社の理念である「挑戦と創造」で、進んでいく企業であり続けたいと思っています。

仕事は人・物・金で動いています。仕事をしていて、人・物・金のすべてが、揃っていることはありません。自分のまわりは不足している条件だらけということは多い。それでも、小さな第一歩を踏み出すことです。現在が出発点。道のりは遠いが、歩き始めればいつかは着きます。皆さんは無限の可能性を持っています。しかし最初は仕事に慣れず、いろいろ苦労があるでしょう。まずは先輩達の中でどん欲に仕事を覚えていって欲しいと思います。

 

最後に、希望に満ちた今の気持ちをいつまでも忘れずにいてください。新鮮な心をもってしっかりと将来を見据えて、たゆみなく前進を続けてください。

今、ここにいる皆さんが、我々と一緒に将来の協立製作所を築いてくれることを心より願い、本日の入社式の挨拶とさせていただきます。

 

 

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マラソンへの道ファイナル⑥

週間に1回ヒアルロン酸を直接右膝に注射した。6~7回注射し痛みがなくなってから、プールで歩くリハビリを行った。同時に膝周りの筋肉を強化する練習を行い、 9月からジョギングの練習を始めた。ホノルルに出発する1ヶ月前から1週間に1回のペースで痛み止めのステロイドを4回注射した。ホノルルマラソンでは前日両膝のテーピングを行い、万全を準備を行った。詳細はブログの「マラソンへの道」で述べたが、右膝内側の痛みは出なかった。しかしダイヤモンドヘッドを上り、緩やかな下り道で失敗した。体調がいいので、緩やかな下り坂で少しストライドが大きくなったのが原因で、両太ももの内側の筋を伸ばしてしまい、20㎞付近で走れなくなった。 あの痛みは過去にも体験したことのない痛みだった。6時間37分でゴールしたときの達成感に満ち溢れた気持ちは今も忘れない。

 

61歳のホノルルマラソンは、両太ももの内側の筋を痛めないため、普段からストレッチを行い克服したが、27~28㎞付近で右膝外側の痛みが出て、30㎞の壁を越えられずに歩いてしまった。62歳の東京マラソンでは浅草雷門の折り返しから日本橋付近で、右膝外側の感覚がなくなり、走ることが出来なくなった。やはり30㎞の壁は越えることは出来なかった。それでも約22分近くタイムを短縮し、6時間14分59秒でゴールした。

 

東京マラソンでは36,000人のランナー、新宿都庁をスタートし、飯田橋、日比谷公園、増上寺、品川駅を折り返して、銀座4丁目の交差点を浅草に向かい、スカイツリー眺めながら、雷門を折り返し、日本橋、銀座、歌舞伎座を通り、築地からラストに4つの橋を渡り、東京ビックサイトでゴールした。石原東京都知事は8時20分スタートの号砲を鳴らし6時間151(プライベートタイム)後、ゴールに知事が立っていて完走したランナーとハイタッチをしている姿が印象的だった。私もハイタッチしたのは自然の流れだった。

 

あの感動をもう一度味わいたい。しかし右膝に続き、右ふくらはぎの肉離れの故障を体験して、大げさに言えば、仕事(飲み会も含)・マラソン・ゴルフを続けるのは、心技体が充実していないと続けることは難しい。マラソンは63歳で断念した。今度はシングルプレヤーに挑戦したいと思っている。もちろんジョギング程度は気持ちの良いときにやっていく。これで5年に渡って続けた「マラソンへの道」のブログも終了する。

 

現役を引退したら、マラソンに再挑戦するかもしれない。

 

マラソンへの道ファイナル⑤

翌日滋賀県方面のお客様と午前中の約束をしていたので、東京駅近くのホテルに泊まるために、出張の用意をして東京駅にいった。電車の乗り降りは階段を使わないルートでいった。いつもなら八重洲口からホテルまで5分位で行くところ、右足を引き摺りながら、20分かかったのを覚えている。翌月曜日、5時に起床し朝一番の新幹線に乗った。10時に訪問先に入り、打合せを済ませてから、帰宅したのは夜9時頃。しかし翌日の火曜日に、目が覚めた時にはすっかり痛みは治まっていた。この体験で、シューズの重要性を認識し、初心者用のシューズを購入した。ランニングマシンの練習はマシン自体がクッションになり、膝周りの筋肉が付きにくいため、膝がロードに耐えられないと分かったので、その後はロードでの練習を主体にした。

 

忘年会の勢いで約束したが、本当にフルマラソンに挑戦しようと思ったのは、若い時にテレビで見たホノルルマラソンだ。人生の節目である還暦の年に、夫婦で国内旅行でも、海外旅行でもなくもっと記憶に残ること、海外でフルマラソンの完走が人生の記憶に残る事だと思った。幸いにもホノルルマラソンは制限時間がなく、楽しみながら走れる。国内のマラソン大会は制限時間が6~7時間なので、時間内にゴールするは無理だった。何よりも最初のマラソンは完走したかった。

 

59歳の5月、連休の間、毎日10キロを走った。調子がよかったので、ある日初めての20㎞走を行った。自宅から旧道を通り、筑西市の県西運動公園を通り過ぎ、下館駅まで10㎞、往復20㎞のコースである。5㎞位を過ぎると体がなじんできて、足も軽く快調に走ることが出来た。しかし15~16㎞地点で右膝に違和感を覚え、 痛みが出てきたので、残りは徒歩で行った。この痛みが取れないので、整形外科に行き診察したが、先生の診断は加齢による膝の軟骨の磨耗が原因とのこと、走るのは諦めなさいといわれた。先生に還暦の記念にどうしても12月のホノルルマラソンに行きたいことを話した。そして無理して走り続けた場合、右膝が最悪どのようになるのか先生にしつこく聞いた。6ヶ月の治療でも最悪は走ることが出来なくなりますと云われた。私はフルマラソンに1回だけ走ることが出来れば、後はマラソンが出来なくてもかまわない、歩くことは大丈夫ですかと質問したら、大丈夫との回答があった。ではゴルフをプレーすることは出来ますかと質問したら、たぶん大丈夫といわれたので、「老後にゴルフが出来なくなるのは困るが、出きるならOKです。治療をお願いします。」といった。

 

マラソンへの道ファイナル④

マラソン好きなお客様のある部長と忘年会でダイエットの話で盛りあがり、スポーツクラブで走っていることを話したら、フルマラソンも完走することが出来ると進められた。自信もないし体力が持たないと思っていたが、したたかに酔っ払っていたので、勢いでフルマラソンに挑戦することを約束した。相当酔いが回っていたが、不思議とマラソンを走ることだけが、記憶に残っていた。いきなりフルマラソンを走るのは無謀と思い、毎年④月に土浦市で行われるかすみがうらマラソンの10マイルの 部門にエントリーした。1~3月の間にランニングマシンで相当走りこんだ。

 

いよいよ60歳の4月、かすみがうらマラソン10マイル(16)の部に出場した。 レース当日不安もあったが、心地よい緊張感で気分も適度に高揚していたのを覚えている。会場である土浦の陸上競技場に1時間前に到着するように、車を土浦駅近くの駐車場におき、徒歩で陸上競技場にいった。陸上競技場は2万人を超える人で、開会式のセレモニーが華やかに行われていた。私は練習で計測した持ちタイム2時間のスタート場所に並んだ。一番後ろである。この時16マイル出場者は約6,000人だった。スタートして15分位して常磐線の陸橋を渡るとき、はるか遠くまで人の帯が続いていた。壮観に一言である。

 

走るペースを一定にするため、時計でチェックしながら走った。5kmを過ぎた頃から体が軽くなり、いつもよりペースが上がった。このままどこまでもこの早いペースで行けそうに感じた。これなら1時間30分でゴールできる。しかし12~13kmを過ぎた頃、右膝内側に違和感を覚えた。少しペースを落として走ったが、徐々に違和感が痛みに変わり、ラスト1kmで走れなくなった。後は右膝をかばいながら、歩いてゴールした。タイムは1時間46分。何よりも完走出来たことに、言葉に表せない達成感を覚えた。

 

ゴール後、荷物を取ってからが大変だった。特に土浦駅に向かう途中の歩道橋を上がるとき、ふだん触ったこともない補助レールにつかまりながら、痛さに堪えて階段を上がっていった。下りの階段がもっとひどかった。右足を下ろそうとすると、膝に感覚がないため、階段から落ちそうになった。やっと駐車場にたどり着くのに倍以上の時間を要してしまった。

マラソンへの道ファイナル③

一念発起してスポーツクラブに入会した私は、目標を定めて運動と食事の総カロリー削減のダイエットを始めた。体重は79.5kgから69kg、ウエストは95㎝から85㎝以下、見た目の体形を重視することを目標にした。筋力トレーニングと食事を中心とするダイエットを始め三ヶ月を経た頃、ランニングマシンを併用するようにした。筋力トレーニングでは器具を使って胸・背筋・臀部・太ももの運動、腹筋は腰痛を防ぐために、3種類の方法を行った。もちろん最初はトレーナーに教わった。2週間を過ぎた頃には周囲の人の運動を見て、真似をして覚えた。週23回筋トレを行い、2ヶ月位過ぎたある日、筋トレ後のシャワーで汗を流し、バスタオルで体を拭いていた姿を見ると、お腹回り、特に腹筋のある両サイドが窪んでいるのが見て取れた。うれしかった。

 

3ヵ月以降は筋トレとランニングマシンを併用することにした。最初は1時間5㎞のスピードで、6㎞に上げ、更に7㎞に上げた。もう小走りに走らないと追いつかなくなった。スポーツ飲料を飲みながら1530分行うと汗が大量に出る。半そでのシャツが胸くらいまで、汗で濡れて来るのが良く分かる。半年後には筋トレ1時間、ランニングマシン1持間の計2時間をこなすようになった。この頃には8㎞のスピードで1時間走り続けることが出来るようになった。1時間も走っているとシャツの汗は、手で搾ると床に落ちるくらいだった。いままでの不摂生がたたり、メタボ状態の体は、あたかも水ぶくれになっていたかのようだ。少しずつジョギングからランニングが出来るようになり、調子のよいときは10kmの速さで1時間走れるようになった。この時のランニングによるカロリー消費量は約1,000キロカロリーである。1年が過ぎ、体重は79.5kgから69.5kg、ウエストは95㎝から83cmとなりほぼ目標を達成することが出来た。

 

二次的効果として胸囲は95㎝から100cm、体脂肪率は20を切るようになった。血圧は13885だったのが、12575に下がり、30代の頃の血圧に戻った。毎年行っている人間ドック検診で、医者から血液検査も含めて、1年前とは劇的に改善しているので、びっくりしていた。どのようにしたのか聞かれたので、食事と筋トレ+ジョギングのダイエット法を実施していると説明したが、ニンジンとリンゴのミックスジュースについては良く理解していない様に見受けられた。石原医師のことは特に話さなかった。完全な健康体ではないが、還暦直前の年齢を考えると、大変良いとお褒めの言葉をいただいた。50代後半から運動を始めると60代、70代を健康な生活が出来る可能性が高くなりますといわれた。

 

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