東海道五十三次旅日記(18)

東海道五十三次旅日記

8日目(5/2)日曜日 舞阪宿出発

4時起床。天気予報の確認したところ、曇り時々雨だ。今日の計画は新井宿、白須賀宿、二川宿、吉田宿、そして宿泊地の御油宿だが、天気が不安定なので、白須賀宿は行かずに新居宿から直接二川宿に向かうことにした。その方が距離は短縮できるし、雨を回避できる可能性が高い。一通り今日の計画を見直してから6時半に朝食会場に行った。久しぶりの朝食バイキングは感染防止のため、マスクと薄手の手袋をつけて、食べ物をトレイに盛り付け、約2mの間隔を空けてテーブルについて、朝食をとった。今日は御油宿のビジネスホテル「コンホートホテル豊川」まで35㎞と比較的短いので7時半にホテルを出た。正面に弁天島駅があり、西に歩いて行った。浜名湖にかけてある中浜名橋、西浜名橋を渡り終えると、新居関所跡に着いた。1時間もかからない距離だ。新居関所は箱根関所と並ぶ東海道の重要地点に位置付けられていたという。現在の遺構は幕末の安政2(1855)に再建されたもので、江戸時代の建物が残るのは全国でも新居関所だけだという。番所が公開され、資料館が併設されていた。新居関所を後にして二川宿に向かうが、ここからはガイド本にないルートだ。ナビで二川宿手前の東海道本線の新所原駅にセットし、約9kmの距離だ。旧所名跡等ない山間部と田んぼが広がる田園風景の道を歩く。遠くに大きな工業団地が見え、有名なオートバイのメーカー2社の看板が見えた。更に歩き続け細い道に出たところ「豊田佐吉記念館」の看板があった。トヨタグループの礎を築いた佐吉翁の記念館だ。             

東海道18-①.jpg
天気は
大気の乱れがあるのか、急に冷た
風が吹いてきて、雷や雹に気を付けるようにとの予報だ。見学は断念して先を急いだ。新所原駅には10時半に到着した。静岡県湖西市新所原駅を過ぎると、県境の愛知県豊橋市に入った。昼頃から雨が降ったり止んだりの天気が続いた。二川宿はもう少しだ。吉田宿は現在の豊橋市のほぼ中心部と重なっている。豊橋市に入ったところで、昼食。1時間ほど休んで御油宿に向けて出発した。足のマメの痛みはさほどなかった。右手に豊橋公園として整備された吉田城を見て、豊川にかかる橋を渡って、ほぼ国道1号線沿いに御油宿に向かった。御油宿は小さな宿場だが、当時本陣が4件、旅籠が62件もあり、大いに賑わったと云う。広重の浮世絵にもあるように飯盛女が多かったと云う。当時の俗謡で「御油や赤坂 吉田がなくば 何のよしみで江戸通い」が、当時を物語っていると云う。江戸時代からの松で知られる御油の松並木は、赤坂宿へ向けて600mも続いている。明日の朝この松並木を歩くのが楽しみである。午後3時到着。チェックインして足を冷やしてから、食事できるところをフロントで聞いて、簡単に済ませてから、コンビニで翌日の朝食を買い、ホテルに帰った。翌日の天気予報を確認。9時に就寝。

前の記事へ一覧へ戻る次の記事へ

最近のエントリー

カテゴリ

月別に見る

検索


ページ先頭へ