東海道五十三次旅日記(17)

東海道五十三次旅日記(17) 

東海道17-1.jpg天竜川には新天竜川橋と古い天竜川橋の2つがある。ナビの通りに古い橋の道を行って手前で右に曲がるのだが、1つ手前を間違って曲がった為、歩道がある新天竜川橋に行くことが出来ない。歩道は見えるのだが、ショートカットできるような道はなかった。再度ナビを使い、30分程遠回りをして新天竜川橋の歩道に出ることが出来た。天竜川は川幅の大きな川で渡りきるのに11分かかった。その後、断続的に松並木の旧街道を歩き続けた。浜松市内に入り昼食を取ることにした。1150分に浜松駅前にあるうなぎ専門店の「うなぎ八百徳本店」に入った。この店は明治から創業で友人から教えてもらった。鰻重を注文し、美味しく頂いた。40分の休憩を取って、1230分に出発。店を出たところ目の前に「本田宗一郎創業の地」の石碑が立ってあった。想像もしないところに石碑を発見するのも一人旅の醍醐味である。目的地の舞阪宿のホテルまで13km約3時間だ。徳川家康の居城浜松城はすぐ近くにあるのだが、日程通り京都に到着するのを最優先にしているので、先を急いだ。出発後間もなく雨が降ってきた。小雨なので90分くらい傘をさして歩いた。春日神社を過ぎると、間もなく舞阪駅だ。舞阪宿は浜名湖の渡しを控えた宿場で貴重な脇本陣が残る。脇本陣は東海道に現存する唯一の遺構で、大名用の上段の間を備えた見事な建物であると云う。舞阪駅の近くから始まる松東海道17-2.jpg並木は、街道の両側におよそ700mも続く情緒あふれる場所である。次の駅の弁天島駅の前にある宿泊地「浜名湖弁天リゾートオーシャン」に着いた。しかしホテル名が予約したのと微妙に違うので、ホテル玄関口にいたホテルの人に、ホテル名の確認をしたところ、間違いはなかった。しかし駐車場の使用の有無を確認するためだと思うが、お車ですかと聞かれた時にはなぜか不愉快になった。リュックを背負い帽子をかぶって歩いてきたのに、またこの服装でお車ですかはないでしょうと思った。皮肉を言いたいところだが、疲れていたので、早くチェックインし足を冷やしたかった。いままではビジネスホテルに宿泊したが、大浴場のあるホテルは足を伸ばすことが出来るので、足の疲れを取るのに良い。食事はホテル側の方針で密を避けるためルームサービスとの事だった。今日を振り返ると到着は予定より40分おくれて午後340分だった。途中足裏が痛くなったので、確認したところ両足踵の外側に大きな水膨れがあり、右足の人さし指と中指の間にも水ぶくれができていた。治療を行い9時に就寝した。

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