東海道五十三次旅日記(19)

東海道五十三次旅日記

9日目5/3月曜日   御油宿出発

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朝4時に起床。今日の工程はおよそ37kmと短めなので、前日にコンビニで買った朝食をゆっくり食べ、余裕を持って7時に出発した。しかしホテルから旧道に出ようとナビを見たが、自分の位置が分からない。何度か行ったり来たりしながら、ようやく国道一号線にでた。ここから旧東海道に出て、順調に歩き始めたが、自分の頭にある地図と歩いている道に違和感がある。歩き始めてから1時間半御油駅の看板が見えた。これで分かった。前日泊まったホテルの位置を勘違いしていた。計画段階で御油駅近郊にホテルが見つからない。やむを得ず御油駅から5.5km先のホテルを予約したが、これが間違いだった。泊まったホテルは御油駅手前に位置していた。良く調べてみると御油駅から三つ手前の諏訪町駅近くだった。計画段階での失敗だった。予定より多い距離を歩くことになったが、気を取り直して赤坂宿に向かった。赤坂宿は宿場町で御油宿との距離が一番短い宿場である。                        江戸時代からの松で知られる御油の松並木600m続く

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御油宿の国の天然記念物の松並木は旧街道の風情を味わいながら、このような松並木保存されていることに、感心しながら進んでいくと、小さな案内板に「御油松並木愛好会と御油小学校の卒業生が記念に苗木を毎年植えている」と説明があった。ちなみに、「東海道中膝栗毛」の弥次郎兵衛が狐に化かされる話の舞台はこの御油である。資料館に立ち寄り説明文をいただいた。御油の松並木は江戸時代の初めに東海道の並木として御油・赤坂宿間に整備され、幕府によって管理されていたと云う。明治に入って宿場制度が解体され、管理の所在がはっきりしなくなったが、  地元御油町で管理を続けてきた。その後太平洋戦争のため全国的に多くの松が燃料として切り倒されていることを憂慮し、御油町の人達が並木を存続させるため、天然記念物指定を受ける働きかけを行った。その結果、東海道の松並木として代表的なものと言う理由により、昭和19年に国指定の天然記念物になったと云う。昭和47年松並木愛護会が発足し、昭和50年に大規模な松の補植が行われ、江戸時代の並木景観を現在もなおとどめていると云う。しかし昔の宿場町の面影はない。


                   


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