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孔子いわく(1)

ある金融機関の情報誌がネットによって、毎日中国の政治・経済・法律改正の情報や為替情報が送られている。その中に孔子の論語を翻訳した短い文章が連載されている。心に留めておきたい言葉を忘れないように手帳に記している。

 

孔子いわく、「有益な友に三種、有害な友に三種ある。直言してくれる友・誠実な友・博学多識な友は有益な友である。体裁ぶる友・媚び諂う友・口達者な友は有害な友である」。

 

孔子いわく、「有益な楽しみに三種、有害な楽しみに三種ある。礼節と音楽によって自己を磨く楽しみ・人の美徳を噂する楽しみ・賢い友が多くいる楽しみ、これらは有益な楽しみである。享楽に耽る楽しみ、遊楽に耽る楽しみ、宴楽に耽る楽しみ、これらは有害な楽しみである」

 

孔子いわく、「君子には自戒しなければならないことが三つある。若い時は勇気もやる気も元気も根気も旺盛であるが、特に性欲に振り回されないようにしなさい。壮年になると出世欲にフォーカスして闘争心が強くなるからこの時期は人と争うことを避けなさい。年をとると勇気もやる気も元気も根気も衰えて来るから、欲に執着することを捨てなさい」。

 

孔子いわく、「覚醒したる人物(君子)には畏敬するものが三つある。その一は天命を畏れ敬い、その二は天命を体した大人物(大人)を畏れ敬い、その三は天命を伝える聖人の教えを畏れ敬う。愚かな人物(小人)は、天命を知らないで畏れず、天命を体した大人の存在に気付かず馴れ馴れしく接し、真理を伝える聖人の教えに耳を傾けようともせず馬鹿にする」。

 

孔子いわく、君子としての心掛けに九ヶ条がある。
一、本質を見抜くよう心掛ける。
二、先入観に囚われない。
三、顔つきはいつも温和でいる。
四、恭しく人と接する。

五、口先だけにならぬようにする。
六、慎重であるようにする。
七、疑問は質問する。
八、腹が立つ時は、当り散らさず自重する。
九、利益の前では、義に叶ったものか考える。

 

上海出張

13日水曜日19時15分の便で成田空港を出発した。本来、10日の日曜日に出発して13日に帰国する予定だったが、地震後の復旧のため中止していた。予想より早くフル生産に戻ることが出来たので、急遽再出張を決めた。

 

今回の訪問は営業許可の延長更新の確認と2011年度の経営計画の確認である。上海協立機械部件有限公司は設立が1991年6月12日で営業期間は20年と定められていた。今回の更新は2031年6月11日で20年の期間である。

 

上海協立機械部件有限公司の取締役会決議、規定修正案、取締役会メンバーリスト、経営期限変更及び監事設置に関する申請書、株主決議、外国独資企業契約書及び規定修正に関する申請書の6部からなる書類を作成し、既に署名したものを送ってあった。上海市人民政府から中華人民共和国外商投資企業の批准書、上海市工商行政管理局から企業法人の批准書を確認するのが今回の目的である。

 

成田空港に17時に到着した。空港内は福島原発の影響を受けて客が少なく閑散としていた。19時15分発のフライトで現地時間21時15分に到着、張さんが自らで迎えてくれた。宿泊先の花園飯店に22時30分にチェックインし、23時30分まで張さんと情報交換を行った。

 

14日、朝8時にホテルを出発。いつも張さんが迎えに来てくれるのだが、今回は断った。私は2008年に引っ越した工場の場所を一人で行ってみたかった。道順は覚えていたので、タクシーで行くことにした。住所を書いた紙を運転手に渡し、上海‐杭州を結ぶ高速道路乗り最初の出口「新橋」で降りるように指示した。しかし途中から環状高速道路を降りてしまい、一般道路で向かってしまった。運転手に道路が違うと言ったが、ナビで住所を登録したから大丈夫だと言い張っている。距離の短いルートを選択したようだ。私は時間が早いルートを指示したのに、理解していないようだ。目印にしているエレベータ会社の試験棟がみえた。いつもより30分以上時間がかかり、9時10分に無事到着した。

 

批准書の確認と説明を聞いてから、経営計画の打ち合わせを行った。午後、茨城県上海事務所の副代表が来社され、工場見学と会社概要の説明を行った。

次回の訪問予定は6月で、設立20周年を迎えるので身内だけの懇親会を行おうと思っている。

 

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東北関東大地震(4) 

13日日曜日6時起床。地震と津波による被害の大きさに自分は何が出来るのか自問自答した。結論は協立を早く復旧させることが自分に出来ることだと改めて思い復旧の先頭に立つことを心に決めた。いつもより多くの朝食を取った。もしかしたらしばらく食べることが出来ないかもしれないと思ったからだ。

 

いつもと同じ7時半に出社した。幹部や従業員の人達が出社、メチャクチャになった2階事務所は5~6人で後片付けを行い、パソコンのネットワークのチェックを行い皆が出社する月曜に連絡が遅滞なく出来るようにするためだ。機械の水平出しは保全課の1チームがK1のスプール工場から作業を始めた。製造設備にとって機械の精密水平は命である。

 

前日、結城市で泊まるところを見つけ、朝一番でKYBの長谷川さんと池田さんが応援に駆けつけてくれた。私の旧知の人達なので心強く思った。まもなくクールテックから広瀬さん、宮原さん、上田さんが応援に来てくれた。皆さん60歳以上の超ベテランで、全体を統括する田所さんもお見えになり、状況把握に努めていた。その後クールテックは山下さんが加わり4名で水平出しをおこなった。感謝の気持ちでいっぱいだった。午前、コマツの小山工場と電話がつながり応援に行く用意をしているとの言葉をもらった。午後になるとコマツの西川さん、福本さん、鈴木さんが来社し、被害状況を把握し、必要な人数を決めるために打合せを行った。

 

17時頃、応援部隊の人達と共に早く終わることにした。出社出来た人が少ないので、ムリをすることはないと思った。本格的な復旧作業は月曜日からだ。長丁場になると決意を新たにした。出社出来た人達の家の状況を聞くと電気・水道が回復していないとのことだった。

 

機械商社の共和工機の社長・会長から全面的に支援するとの申し出を受けた。機械メーカーへの連絡・調整をお願いした。この日は携帯がつながらなく、何度も何度も電話をした。私はいつも予備の電池1個と補充充電アダプター1個を持ち歩いているが、今日は電池2個を使い切り補充充電アダプターを携帯に差し込んだまま使用した。こんなに電池を使ったのは初めてだ。このような大災害の時に携帯電話の重要さを再確認した1日だった。

 

家に帰ってからも余震が続いていたが、早く寝ることにした。明日も頑張ろう。

皆さんありがとう。

初めてのフルマラソン42.195km(2) 

25㎞付近の給水所は水を取りに行く人達で混んでいたので、走るのを止めて水を取り飲んだ。再び走り始めたとき体の異変を感じた。両太ももの内側の筋肉に鈍い痛みを感じた。今まで体験したことのない痛みである。なぜか思いいたったのが、ダイヤモンドヘッドを登りきった後の長い下り坂で、いつもより歩幅が大きくなって走ったため、いつも使っていない筋肉を伸ばしたためだと思った。痛みがだんだん強くなり途中で歩いてしまった。その後歩いたり走ったりの繰り返しの連続で、30㎞地点まで到達した。4時間46分12秒を表示している電光掲示板の前で記念写真を撮った。結構気持ちの余裕はあった。

 

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   「30km地点にて」

 

その後は内股の筋肉の痛みで走ることが出来なくなったが、早歩きで歩くことにした。30㎞地点からゴールまで約2時間と目標を定め、ゴール到着時間は午前11時30分頃で6時間30分と考えながらゴールに向かった。最後は走ってゴールしたいと思い、400m位手前から走り始めた。ゴールした時の気持ちはなんとも言えない達成感があった。

 

ゴールした後、完走した人にだけ与えられる前面にフィニッシャーと書かれた青のTシャツを受け取りに行った。ホテルに帰って、シャワーを浴び、青のTシャツに着替えて昼食に行くと、行く先々の人から笑顔で「おめでとう」と言葉をかけられ、誇らしい気持ちと共に改めて完走した実感を味わった。

 

還暦の記念にフルマラソンに挑戦したいと思いたってから、練習を積んできたが、途中右膝の故障もあり不安だった。スタートラインに立ったときから完走することだけを考えて、ゴールに向かって行った。終わってみると足が痛いだけで体はなんでもなく、体力に自信が持てた。年が明けると61歳になるが、週1~2回のペースでジョギングを行い、再度挑戦したい。

 

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       「完走証明書」

 

 

 

 

    

 「完走後の記念写真 右隣は塚田さん」

 

初めてのフルマラソン42.195km(1)

2010年12月12日初めてのフルマラソン42.195㎞のスタートの花火が   午前5時に打ち上げられ、3万人のランナーが一斉にスタートした。スタートラインにはゴンドラに乗った金メダリストの高橋尚子さんが手を振りながらランナー達に 声援を送っていた。私はスタートライン近くで合図を待っていたが、ものすごい混雑でスタート地点まで行くのに10分位掛かってしまった。

 

101号ブログ写真②.jpg前日早めの夕食を取り、午後8時にベットに入ったがなかなか眠ることが出来なかったが、午前2時起床した。7月に右膝を痛めたため、ヒアルロン酸の注射を週1回10月まで続け、11月にはステロイドの注射を右膝に打って治療していた。同時に足の筋肉を強化するリハビリを取り入れて治療に務めていた。念のため左膝も保護するため、左右両膝を入念にテーピングし、サポーターをつけて準備した。おにぎりとバナナを1個ずつとスポーツ飲料の食事を取った。午前4時にホテルのロビーに集合し、やや肌寒い中をスタート地点まで歩いていった。4時半頃スタート地点に到着した時には大勢のランナーでごった返していた。午前5時花火の合図でスタートした。最初ははやる気持ちを抑え3㎞位のところまで歩いて行き、体も温まってきたのでゆっくりと走り始めた。

 

まだ薄暗い道ではあるが、大勢の人達の波の中にいると否が応でもアドレナリンが増えてくるのを感じる。ワイキキビーチにあるホテル街を通り抜け、ゴールがある公園と海岸の間を走っていった。膝の調子は良好と確認しながら、ダイヤモンドヘッド沿いの坂道を快調に駆け上がった。坂の上に到達した後は緩やかな長い下り坂だった。予想より調子が良かったのと緩やかな下りを利用して少しスピードを上げって行った。15km位だと思うが、高速道路に入っていった。この高速道路は前日車を走らせて下見をしたが、予想通り単調なコースで気持ち的にきつかった。高速道路を降りると住宅街の角々にランナーを応援する地元の人が大勢出ていた。ボランティアのバンドが歩道で演奏していた。音楽のリズムに合わせながら走ると、不思議と疲れを感じない。今日は調子が良い。

 

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