最近の出来事

ダイエット③

2008年正月に体重が79.5kgに増えてしまったので、3月から食事と運動を取り入れたダイエットを始めた。体重はベンチマークの3月から一年半で8.5kgの減量に成功した。2009年下期から仕事量の回復と共に体重も右肩上がりになり、2010年3月には3.0㎏増加し71.5㎏になってしまった。4月のかすみがうらマラソン10マイル(16.09㎞)部門に出場するため、一ヶ月前から週3回程度  3~4㎞練習した結果、約70㎏になった。仕事が忙しくなると生活が不規則になり、特に運動が少なくなるとコントロールは難しい。8月現在69.5㎏、BMI24.2、体脂肪率18.9%とバランスの取れた健康な体型になってきた。

 

BMIとは体格指数(Body Mass Index)の略で、体重()÷身長()×身長()で計算することが出来る。BMIが22のときに最も理想的とされ、18.5未満は低体重、18.5~24.9は普通体重、25.0以上は肥満と判定される。

 

体脂肪率とは体重に対する脂肪の割合のことで、見た目がやせていて体重が適正値でも、体脂肪率が高いと肥満といえる。男性は20%、女性は(15歳以上)では30%を超えると肥満とされる。

 

食事のコントロールだけでは筋肉も落ちてしまい効果的な減量とはいえない。食事と運動の両面から脂肪を減らさないといけないので、今後は体重68㎏、BMI 23.5、体脂肪率17%を目標に楽しみながら頑張って行きたい。

 

 

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オークマ取引先謝恩会

オークマ取引先謝恩会

月6日工作機械メーカーであるオークマ㈱殿のお客様謝恩会が、岐阜の名鉄犬山観光ホテルで開催された。最初に代表取締役社長の花木様が主催者として「昨年、工作機械業界は大変な年でしたが、新興国のインフラ整備による需要が期待できる。景気の底は打った。」と挨拶された。

 

私は事前に挨拶と乾杯を頼まれていたので、我々の会社の紹介と建設機械業界を牽引している中国の景気動向を手短に話し、次のように挨拶した。「我々製造業はこのような世界経済の中でどのように適応していかなければならないか。200年以上続いている会社は、世界で7,000社あり、その内日本では3,000社あります。世界の工場と云われている中国では9社、インド3社、お隣の韓国0社、技術を積み重ねているドイツでも800社です。更に社歴100年以上で小規模な呉服屋・旅館業などを加えますと、日本には10万社あります。そのうちの4万5千社が製造業です。これが日本の大きな特徴です。

 

日本には「ものつくり」をずっと続けてきた会社や商店が非常にたくさんあります。リーマンショック後、企業のキズが癒えた後の世界は大きく変わっていると思いますが、我々日本の製造業は世界の中でもまれな特徴、つまり環境の変化に適応できる能力・DNAが脈々と続いていると思います。常に前向き・外向き・上向きな気持ちを持って進んで行きたいと思います。」と挨拶し、乾杯の音頭を取った。

 

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茨城県商工労働観光審議会(2)

私の意見は時間切れになって核心まで行かなかった。一番云いたかったのは零細企業が小企業に、小企業が中小企業に、中小企業が中堅企業に這い上がっていくのは並大抵のことでは出来ない。この這い上がるエネルギーを大事にしないといけない。企業経営は人・物・金といわれるが、これは自助努力で乗り越えていくしかない。しかし土地の用途変更等の許認可行政は自分の努力で出来ないこともある。茨城県の産業活性化を図るためにも中小企業の活性化が欠かせない。活性化を阻害している問題を整理し、明確にして議論が出来ればと思っている。

 

茨城空港について私は門外漢だが、あえて言うと審議会の議論の中で茨城空港が出来、韓国のハブ空港を通じて世界とつながったとの意見があったが、私は一刻も早く羽田空港をハブ空港にしていかないと、日本の国力が相対的にアジアの新興国より低下していくと思う。シンガポール・ホーチミン・ジャカルタ・バンコクの空港は24時間で運営されており、いかに使いがってのよい空港にするか知恵を絞っている。そのうち上海の浦東空港も24時間空港のハブ化を画策していると思う。

 

このような観点から茨城空港は再度マーケティングを行い、国内初の24時間空港として羽田と成田の補完を行い、生きていく道を模索しなければならないと思う。

 

産業活性化に話を戻す。GDPを拡大し豊かな茨城県を目指すには①労働者人口の増加②資本投下の増加③生産性の向上の3つが欠かせないと云われている。資本投下については文句なく増加していると思うが、労働人口は少子高齢化により増加せず、減少していく。今は不況で人余りだが将来必ず人手不足になる。製造業の生産性向上は、世界の中でもまだ上位にあるといわれているが、持続的な活動につなげるためには戦略・戦術が不可欠で、戦術を理解できる人材と仕組みが必要である。このことを整理し方向性のベクトルが合えば、具体的な議論につながるのではと期待している。

 

 

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茨城県商工労働観光審議会(1)

 3月4日産業政策課の方が来社され、茨城県商工労働観光審議会委員の委嘱依頼があった。お話を聞くと茨城県商工労働観光審議会条例に基づき、「商工部会」「観光部会」「雇用部会」の3部会を設置し、指針や計画策定など、部会において審議し、私には「商工部会」で「茨城県産業活性化に関する指針」について議論してほしいといわれた。年2~3回の会合があるとのことなので、社業に差し支えない範囲でお引き受けすることにした。 

 

引き受けた大きな理由は、茨城工場に赴任した1974年から36年間、茨城県に 住居を構えて、4人で始まった工場を300人で生産活動できるまでになった。その間様々な行政との問題を乗り越えて、今日がある。この体験を茨城県の産業活性化の役に立つのであればと思い引き受けた。

 

最初の会合は3月25日、水戸市の県庁にある市町村会館201会議室で審議委員 23名が全員集まった。会議は審議委員のほか商工労働部の部課長・担当者が多数参加していた。23人中私を含めて5人が新委員で、2~3(1期2)の方が多く長い方では9期の方も1名いた。最初に司会から開会の宣言があり、商工労働部長が知事の代理で挨拶し、委嘱を受けた委員の紹介、会長・副会長の選任が行われ、経営者協会会長の関さんが議長に選任された。そして諮問、部会設置・部会委員指名が行われ、私は商工部会委員に指名された。

 

次に議題として①「茨城県産業活性化に関する指針」、「第九次茨城県職業能力開発計画」及び「茨城県観光振興基本計画」の策定等について②平成22年度茨城県商工労働部主要施策の概要について担当課長から説明があった。

 

私はこのとき、初めて指針や開発計画・基本計画の資料をいただき説明を受けたので、理解するのに時間が足りなかった。前もって資料を頂き事前に眼を通していればと反省した。と云うのは議題が茨城空港の活性化が主要テーマとして取り上げられ、どうやって茨城県を活性化していくかとの議論になった。3番目に私の意見を求められたが、空港の話をしたほうが良いのか産業活性化を正面から取り上げたほうが良いのか迷ってしまった。空港の活性化について日ごろ思っていることがあったので意見を述べようと思ったが、結局後者の話を始めた。しかし産業活性化の意見を5~6分で要領よく纏めることが出来ず、時間が掛かりすぎるので途中でタイムオーバーになり、デビューは中途半端に終わってしまった。次回の部会は問題を絞って議論できれば良いと思っている。

 

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2010年4月還暦を迎えて

月27()家族で還暦のお祝いを日本料理「丸治」で行った。私の誕生日は昭和25年2月24日であるが、家族の日程が合わないので1ヵ月遅れの誕生会である。日本での還暦のお祝いでは、本人に赤色の頭巾やちゃんちゃんこを贈る慣わしがある。私は赤色の衣服などを着るのは嫌なので、子供たちにそのことを前もって話しておいたら、代わりに朱色のゴルフチョッキとパターをプレゼントしてもらった。大変嬉しかった。あらためてありがとう。

 

なぜ赤色の衣服を贈るのか調べてみたら、かつては魔除けの意味で産着に赤色が使われていたため、再び生まれた時に帰るという意味でこの習慣がある。還暦を機に現役を引退する例が多かったため、満60歳を定年とする職場も多かったが、近年は65歳定年も増えてきている。西洋では60周年を象徴とする風習があり、結婚60周年はダイヤモンド婚式といいダイヤモンドをお祝いに送る習慣があったという。

 

人生を振り返ってみると丈夫に育ててくれた両親に感謝し、結婚してから健康を支えてくれた妻に感謝感謝の気持ちでいっぱいである。60歳が第二のスタートとするならば、新しいことに挑戦したい。それは初めてのフルマラソン(42.195km)への挑戦である。若いときから長距離が苦手だからこその挑戦、テレビでマラソン中継を見ているだけでは飽き足らずいつか走ってみたいと思っていた挑戦、60歳で本当に出来るか不安であるからこその挑戦である。国内でのマラソンはほとんどの大会が制限時間7時間以内であるので、1週間に1回10km程度の練習では自信がない。制限時間がない大会を探して見ると、ホノルルマラソンが一番身近なので、友人と一緒に行くことにした。これから1週間に2~3回少ない距離でも走る回数を増やしながら、膝を痛めないで完走できる体作りをしていきたい。

 

これが60歳の還暦を迎えての決意である。

 

偶然だが、ときわ会機熱作業部会の会議を2月24日に土浦工場で行った。参加約 30人の方々が私の還暦の誕生会を行ってくれた。皆さんありがとうございます。

 

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