(5)国際化への対応
当社は中国の上海に工場を持っている。形態としては生産拠点の海外移転である。バブル期の絶頂期に多くの顧客から多くの仕事を依頼され、工場の能力が足りなくなった時に工場の増設がさまざまな行政の壁に当たってうまく進まなかったことが原因である。国内の他の地方に工場を新設すれば後から進出してきた大企業に従業員が引き抜かれる事例や自身の目で見た東南アジア諸国の状況から判断して中国しかない、という消去法的な判断と昔当社に勤めていた優秀な中国人が上海にいる、という事情から中国の上海に工場を設立することとなった。![]()
(6)知的財産の活用
当社は以前より特許の出願はしておらず、また
組織的な取り組みも行っていない。当社は技術は
で独自性のある技術を多数保有している。しかし
ながら、技術を模倣されても模倣を立証しにくい
ことがあること、また、当社の対象とする市場は
ニッチでそれほど大きなものではないので模倣品
が出現すると損失は大きいこと、などの事情から
コントロールバルブ用スプール
(7)まとめ
当社の技術経営の特徴は二つある。一つは同じ業界内で一貫して技術の範囲を広げてきたことである。同じ業界の中に存在し続けつつ経営を安定させるという大きな目標のもと、一貫して技術の範囲を広げ、複合化を図り付加価値を高め利益を安定させてきたのである。そのための手段として生産技術を自社で開発し独自のノウハウを積み上げ、そのノウハウをフルに活かせるよう設計能力まで身に付けようとしていのである。
もう一つは社長自身が非常の勉強熱心なことである。必要なこと、良かれと思われるものについて熱心に勉強を行い、しかもそれを鵜呑みにするのではなく、それら解釈し、それをもとに自分の論理を組み立ててきているのである。解釈とそれに基づく自分の論理があるため明快で合理的な方向付けが行われている
『マルセイユの凱旋門』今回のレポートは「元気なもの作り中小企業300社2008」と題して、経済産業省が2006年から中小企業を応援するために企画したものである。我々の会社は昨年の5月ごろ商工中金渋谷支店から「元気なもの作り中小企業300社2008」に推薦したいとの連絡を受け、応募しました。選ばれるかどうかは確約できないとのことでしたが、幸運にも300社の内の1社に加えていただくことになりました。
2008年7月経済産業省において表彰式がありました。私は海外出張のため出席できないので、高橋会長と飯塚総務部長に出席していただき、甘利大臣から表彰状と記念の盾を頂きました。
7月下旬、橋本知事が茨城県から選ばれた5社と懇談したいとの申し入れがあり、県庁舎の知事室を表敬訪問し1時間程懇談をしました。その中で知事から事務局に「栃木県は何社選ばれたのか」との問いに7社ですと答えたところ茨城は2社少ないと悔しがっていたのが印象的でした。その後各社の会社概要を説明し、知事から質問を受けました。5社の社長は茨城産業人クラブの会員で顔なじみでもあったので、終始リラックスした受け答えをしていました。
それから2ヵ月後にリーマン・ブラザーズが倒産し、世界同時不況に突入していきましたが、我々5社の社長と顔を合わすたびに「元気のない中小企業300社になってしまった」等と軽口を言いながら、これから困難な経済状態の真只中に突入していく覚悟を込めながら話していましたが思い出されます。
今回、レポートを読み返して我々の会社が進んでいる道は、高いハードルはいくつもあるが、方向性は間違っていないと強く思いました。
「マルセイユの港」
2005年8月茨城県上海事務所において上海で活躍する日本の社長と題してインタビューを受けた。仕事以外の個人的なことも掲載したいと申し入れがあり、趣味をはじめ多角的に人間「高橋日出男」を表現したいと言われ、緊張して8月の熱い夏の日に上海虹橋地区にある上海国際貿易中心ビルの事務所で約3時間にわたって副所長からインタビューを受けた。以下茨城県広報誌に掲載された記事を高橋論に思い出のインタビューとして載せることにした。
上海の社長さんに,かく聞きました
第4回 株式会社協立製作所 代表取締役社長 高橋日出男さん
(上海協立機械部件有限公司 菫事長)
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中国における外資系企業の登録ナンバーは69番目。
平成3年に油圧機器の部品を生産する上海協立機械部件有限公司を立ち上げ、世界的にみても早々に中国進出を果たした。15年近く経過した今でも、毎月1回以上は上海を訪れて、自分の足で情報をとり、自分の目で状況を確認し、自分の言葉で指示をする。
「上海と日本を一番多く往復している茨城県人の1人じゃないの?(笑)」と世界を飛び回る多忙さを笑い飛ばすパワーの持ち主、高橋社長をご紹介します。
高橋日出男社長
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■中国進出は早すぎた!?
「覚悟はしていたが、早すぎた!?」と笑いながら進出した当時を振り返る。「当然、工場が必要とするインフラ整備も不十分。また、空港にはタクシーなんて待っていないし、機関銃を持った人民解放軍が警備していた。食事をするにもオーダーは取りに来ないし、釣り銭は投げて返されるし・・・」ハード、ソフトの両面において外国人にはストレスの溜まる状況だった。
現在の国際都市の風格からは想像もつかないが、事実、それがつい先日までの上海の姿。しかし高橋さんは、将来上海が必ず発展すると確信していた。
上海協立機械部件有限公司
■なぜ中国なのか
(株)協立製作所は先代の社長である父と叔父が、昭和29年に研磨を生業とする会社として東京に設立。両親の苦労を解消させてあげたかった高橋さんは、大学を卒業して家業を継ぐ際に地方への事業展開を提案し、両親の故郷である茨城県に工場建設を決める。工場建設後も順調に事業は拡大。労働力不足を解消するためにスポーツ紙に求人広告を掲載し、応募してきた1人の中国人を通じて、入れ替わり立ち替わり50人の中国人を雇うことになる。
「日本人より仕事の覚えが早く作業態度もまじめ」というのが高橋さんの中国人の印象。そうした中で大前研一氏の講演を聞いて海外進出の関心が高まり、中国をはじめ台湾、マレーシア、シンガポールなどを視察。そして、まだ日系企業の進出していない中国にチャンスを感じた。直接のきっかけは「茨城工場の増築、開発認可より、上海の方が早かったから(笑)」だという。
■モノづくりDNA
「車が故障したら自分で直そうとしますか?」ほとんどの人の答えはNOだろう。モ
ノによっては修理するより新品を買った方が安いし、時間もかからない。しかし修理することは、そのモノの原理原則が理解できる。そして改善するために油まみれの手で試行錯誤しなければならない。それがモノづくりのDNAになるというのだ。「自分の会社の出来る範囲で出来ることをゆっくりとやっていく。うちは大量生産の会社ではない」ときっぱりと言い切る。同社が得意とする油圧部品やバルブ部品などの精密機械にはそんな匠の遺伝子が組み込まれている。
工場内部の様子
■悩みのタネは人材育成
「現地工場での人材育成は考えたことはない」あくまでも作業者。教えたところで未熟な知識と技術ですぐに別の会社に転職していく。精度が命の工作機の取り扱いは非常に複雑。一朝一夕には使いこなせない。「学卒が生産現場に入る日本が特殊。中国ではエリート扱い」と言う通り、優秀な人材を第一線の生産現場で確保することは難しい。更には、文革の影響で技術的知識を持った中間管理職クラスの年代が少ない上、若い世代には甘やかされて育った一人っ子が多いという中国独特の問題もある。
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製品の精密部品群 |
■上海の利点と戦略
世界有数の国際都市である上海ならではの利点がある。
「上海には世界中のメーカーがやってくる。これは日本よりすごい!」 資金や人材面で厳しい中小企業にとってこのメリットは大きい。つまり、自ら世界各地を営業しなくても、上海で製品が評価されれば、口コミで評判が広がり、ユーザーの方からやってくるのだ。
さらに現地の営業戦略として「日本への売上げを30%確保すれば後はどこに売ってもいい」と現地の責任者に裁量権を与えた。進出当時の会社設立主旨からすれば、親会社の利益を優先するとの考えもあるが、あくまでも独立した一つの会社として世界を相手にする。
「すでに世界的には日本の親会社より上海の方が有名では」と話していた。ちなみに日本の親会社の油圧ショベル用コントロールバルブのスプール(油の方向を制御する部品)は世界シェアの約45%にまでなっている。
■プライベート
早くに上海に進出したため、進出を検討している大企業の役員をアテンドする機会に恵まれた。そして、関東理工系大学のテニス大会で2年連続ベスト4の実力を駆使して、当時唯一の娯楽であったテニスで人脈を広げた。「ほんとに公私にわたり色々なことで救われた」と振り返る。お陰で、出張の度にラケットを持っていくことに奥様が不審を抱き、上海まで連れてきて説明したという笑い話も。
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小唄を楽しむ高橋社長 |
高橋さんの一番の願いは「若手が自立してもっと会社を発展させる」こと。
同社の生産技術部に在席し、イギリスへの短期留学の経験もある御子息は、先日、上海の大学留学を終えて日本に帰国。今は同社の最前線で活躍している。
「会社を任せる後継者を作り、その後は旅行好きな奥様とヨーロッパでも」と近い将来の夢を語る。
意外な一面としては、三味線の伴奏で唄う小唄の松風流の名取。「松風裕日出」として休日は小唄を楽しむ。
■メッセージ 個人レベルでは「海外では自分の身は自分で守る」ということ。ロンドンのテロ事件の前日までイギリスに滞在していた。テロについてイギリス人の友人に「(一大事だが)イラク戦争の当事国である意識が国民にはあり、日本のようにセンセーショナルに報道していない」と言われ、危機管理の感覚の違いを感じたという。 会社レベルでは「自分達(会社)がなんのために中国に進出して仕事をするのか、目的をハッキリとさせること」基本中の基本である。中国ブームに乗って何となく進出、では成功しない。成功の陰には多くの企業が失敗している事実があることを見逃してはいけない。
4月17日に常陽地域研究センターによる取材がありました。6月号に掲載予定ですので、その原稿を掲載させて頂きます。常陽地域研究センターとは通称「常陽アーク」と云い、常陽銀行のシンクタンクで産・学・官から10名程の運営委員を選任し、テーマに対して意見を交換します。そして常陽アークの研究員がその内容を調査研究し、毎月冊子として発行し、常陽銀行の取引先に配布しています。運営委員の任期は年で、私は10年前から委嘱され、今日まで続けています。
製品割合は建設機械にしようされる油圧機器・油圧部品で約9割 当社は、創業当時は切削工具の研削加工専門で行っていましたが、油圧機器メーカーとの取引が始まり、油圧機器部品の研削加工の比重が次第に増えてきました。業務拡大のため茨城工場を設立し、研削加工の前加工である機械加工(旋盤、フライスなど)を取り入れ、部品の一貫加工を手がけるようになり、規模も次第に大きくなっていきました。その後は機械加工・熱処理・研削加工の一貫加工部品で業務を拡大し、近年では自社で製作された部品を使用し、組立・性能検査・塗装を行うOEM製品(ピストンポンプ・バルブ)を開発してきました。当社の製品割合は、建設機械に使用される油圧機器で約9割になります。油圧機器は、建設機械・農業機械・射出成形機・工作機械など幅広い分野に使用される補機部品です。特に油圧ショベルのスプール(コントロールバルブに使用される部品)のシェアは国内で約6割、世界で約4割となっています。バブル崩壊前は大手企業との取引では、お客様と競合している企業との取引は敵対的行為であるかのごとく思われ易いので、注意深くお客様を選んでいました。しかし、バブル崩壊後の大不況で系列関係や下請け関係が希薄になってきたので、既存のお客様の競合企業との取引を積極的に進め、不況を乗り越えていきました。結果としてお客様の数も増えていきました。
グループ会社について 特殊工程である熱処理加工は外注で行なっていますが、納期の混乱要因になっていましたので、 1997年に熱処理工場を作り熱処理を内製化しました。その後、熱処理の技術向上と収益力を上げるため、協立製作所以外の企業との取引を行うことにしたので、分社独立を行い協立熱処理工業㈱を設立しました。多くの企業の熱処理認定工場となり、取引の幅が広がりました。 また、中国では1991年に取引先に先駆けて中国進出を果たし、上海協立機械部件有限公司を設立しました。現地の日系油圧機器メーカーとは人民元、アメリカの油圧機器メーカーとはドル、フランスの流体機器メーカーとはユーロ、そして日本の協立製作所とはドルで取引をしています。
世界同時不況の影響は大きかった 当社は、直接輸出はないのですが、お客様の売上高に占める輸出割合が7割を超えていますので、今般の世界同時不況の影響を直接うけてしまいました。02年以降、建機メーカーは中国の需要をキャッチアップし、景気は上昇に向いました。その後世界の新興国の需要を取り込んだ建機メーカーは生産力の増強を図っていきました。当社はお客様の計画に基づき、毎年積極的に設備投資を実施してきました。しかし、毎年設備投資を行うことは経営のリスクが高まることを意味します。設備投資を行い企業規模が拡大するにつれ、人材教育が間に合わず、ムリやムダが目につくようになりました。変化のスピードが速く人が変化についていけないのです。しかし、このような不安定要因を持ちながらもお客様の要求を満足させるべく活動をしてきました。設備投資や人員を増やした結果、07年度の売上高は03年度比3.5倍に人員は3倍に拡大していきました。08年度の売上高は20%増の 60億円を計画していました。急成長をしている当社にとって計画通りに売上を達成できない窮地に追い込まれるという認識をいつも持っていました。 そんな中、08年8月に当社の子会社である上海協立機械部件有限公司の現地での受注が半分になったと報告を受けました。現地のお客様は日系の油圧機器メーカーで、日系の建機メーカーに油圧機器を供給しています。9月の受注も半分と報告を受け、何か異変が起きているのかと思いました。そして16日にリーマン・ブラザーズが破綻し、いわゆるリーマンショック後アメリカ発の金融危機が表面化しました。日本でも減産計画が発表され、生産調整に入ったことで、当社の月商は半分になりました。このような事態になると当社は窮地に追い込まれます。被害を最小限に止めるために10月初旬に幹部を集め、現状の状況説明を行い、かねてから準備していた対策の説明を行い、理解と協力を得られたので、計画に基づき即時に実施して行きました。 現在でも在庫調整が続いていますので、月・金曜日を一時帰休日にして火曜日から木曜日の3日働いて金曜日から月曜日の4日を休む、「3勤4休」体制を続けています。苦しい経営を強いられていますが、中国の内需拡大政策により一部に明るい兆しが出てきています。しかし、中国だけでは世界の経済を牽引することは難しく、アメリカ経済が上向かないと中国も息切れしてしまいます。6月には在庫調整が落ち着くと予想していますが、受注の回復は下期以降になるのではないかと思っています。非建機の油圧機器を受注するため営業活動をしてきましたが、少しずつ引き合いが来るようになりました。
合い言葉は、「中小から中堅へ」 当社では「中小企業から中堅企業へ」を合い言葉に、年間100億円の売上高を目指しています。会社が永続的に発展できる企業の仕組み作りが目的で必ずしも100億円が目的ではありませんが、「年間売上高100億円」が達成できれば、企業の仕組み作りも達成出来ると考えております。今後も試作から量産までのお手伝いを続けて、お客様満足度を高めていきたいと考えています。
リスク管理を徹底し、この不況下においても慣れない会社づくりを 常に先を予測することが不況の波を乗り越えるためには必要なことであるということです。リスクを予知し、もし万が一のことが起こった時のために備えをしておく。そして実際に不況が来た時には迅速に対応策が実行出来るように、体制を整備しておかなければならないと思います。その体制とは 100億円企業を実現するための「仕組み」です。 自分は2代目。「絶対に会社を潰さない」という気持ちを持って、「中小企業から中堅企業へ」体質改善を行い、全員のベクトルを合わせて実行していくことが、会社にとって大事なことだと考えています。