山陽道・西国街道旅日記 七日目(P38~39/P89)

立ってあった。竹原の歴史は全く知らない。273-1.jpg
調べてみると、古くから瀬戸海の交通の要衝として発展した。室町時代より港町として知られ、江戸時代後期は製塩業で栄えた。「安芸の小京都」と呼ばれ、県道330号線と国道2号線の分岐点から竹原市の中心部は約8km、瀬戸内海の港町にたどり着く。山沿いを歩いていると、瀬戸内海は全く見えなかった。1982年には、たけはら町並み保存地区が「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されたと云う。計画段階では、竹原市の事は知らなかった。30位進むと道路の標識があった。岡山107km、福山48km、三原市街16kmとある。このあたりの街道は平たんで歩きやすい。

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標識のある地点から20分位すると、史蹟貞丸古墳と記された白木板が目に入った。貞丸古墳は沼田川支流の尾原川の左岸丘陵斜面に営造された古墳群で、1号、2号古墳がある。築造時期は古墳時代終末期の7世紀前半頃と推定されている。更に40分程で御年代(みとしろ)古墳の入り口の案内板があった。御年代古墳は、古墳時代終末期の7世紀中葉頃の築造と推定され、畿内型古墳で全国的にも数の少ない複室構造の1石室2石棺の古墳である点で注目され、沼田地方の首長墓として当時の政治情勢を考察する上で重要視される古墳であると云う。旧山陽道の絵地図に載ってあったので、旧道を歩く時の目印にしただけで、古墳自体の見学は行わなかった。次に向かうのは安芸高木山城跡だ。旧山陽道と並走して国道2号線が走っている。12時半頃に昼食を取り15分位休憩をとったのち、目的地に向かった。

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絵地図とナビで歩いて行った場所は、小さな集落で10件程の家がある場所に着いた。しかし城跡らしき空間がなく、標識もなかった。3回ほど行ったり来たりしながら、探したが見当たらない。上の方を見ると小高い丘にそれらしい公園が見えるが、周りに人影もなく、聞くこともできない。グ―グルで検索したが、城跡の位置は民家を指している。別のサイトを見ると山の上に矢印で指している写真があって、これかなと思ったが、案内板もないので、登って行くことをあきらめた。進んで行くと、程なく甑(こしき)天満宮に着いた。説明文によると、甑天満宮は石段を登って行くと社殿があり、祭殿には天神様、学問の神様として信仰されて菅原道真公はじめ、その他諸神を祀ってある。

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伝承によると「延喜(901)元年、菅原道真が左遷され九州大宰府へ下向の途中に立ち寄ると、土地の人々は水不足で大変苦労していた。道真は自ら井戸を掘りはじめると、こんこんときれいな水が湧き出し人々を救った。


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里人は道真の干飯を甑で蒸して差し上げた。その後この甑で納めて祀ったのが甑天満宮である。」と言われている。足を先に進め、沼田川を渡り、20分程で山陽本線本郷駅に到着した。午後1時半だった。

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宿泊地の三原ステーションホテルには、昨年、中山道の日本橋から浦和、横川から碓氷峠を越えて軽井沢まで、一緒に歩いた田部井さんが待っている。本郷から途中は沼田川沿いに国道2号線の歩道を歩いた。3時半に三原市郊外に到着し、5時半に三原ステーションホテルに到着した。歩行距離40km、歩数57,417歩だった。ホテルで田部井さんが出迎えてくれた。早速、チェックインし、シャワーで汗を流し、三原名物のタコ料理を食べようと、三原市1番人気の店を紹介してもらった。

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徒歩3分とのこと。店に入ったが、予約でいっぱいで断られた。やむなく次の店に入って、蛸をメインに料理を注文し、ビールと地酒を飲みながら、     昨年の中山道の思い出や下関からここまでの出来事を話し、盛り上がった。明日の打合せを行い、早めにホテルに帰り、9時に就寝。

 



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