山陽道・西国街道旅日記 一日目(P1~5/P89)

まえがき

20224月、東海道五十三次に続き、中山道六十九次を歩いて旅をした。
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20234月は山陽道・西国街道を歩いて京都府三条大橋に行くことにした。最初、京都から下関まで行こうと思ったが、都落ちと云う言葉にネガティブな意味を感じたので、旧山陽道の起点である下関から京都へ上洛する方が、幕末の長州藩の藩士の気持ちが感じられると思った。下関から京都まで約560kmの行程を計画するにあたって、旧山陽道の資料が少なく苦労した。ネットで探し当てたのが昭和48年中国新聞社発行の「山陽道四十八次」だ。この本は下関から大阪までの道のりを作者が歩いて、当時の旧山陽道の情景を描いてある。


    

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しかし大雑把な絵地図しか記載されておらず、下関から大阪までの四十八次の地図は右記に示すような地図しかなかった。この資料を基に歩くことに大きな不安を感じた。調べていくと山陽道は五街道と違い、古来山陽道は都と太宰府を結ぶ最重要の街道であったが、江戸時代では江戸から遠く離れているため、五街道に準ずる脇街道となってしまった。しかし西国大名の参勤交代路で、長崎と江戸を結ぶルートであるなど重要な街道であることには変わりはないと云う。一方では東海道などと比べると見劣りしている。宿場にしても「東海道五十三次」のように大規模でなく、はっきりとしていない。宿泊施設のない半宿や、半宿にしては大きいけれど本宿ではなさそうな宿場が沢山ある。街道の呼び名にしても、地方からの視点の名称も多くあり、今回の旅では山陽道・西国街道の名称でルートを検索していく。山陽道の始点と終点についても諸説あり、当時の幕府は東海道の続きということで大阪~下関間をさすが、古代山陽道にならって京都~下関とすることもあるという。この場合京都~西宮は狭い意味で西国街道と呼ぶと云われている。このようなことから旧山陽道のルートを作るにあたって、大変苦労した。

 そんな時友人の大橋さんから、昭和40年代に発行された「太陽コレクション」という雑誌に記載されている山陽道の本をバラバラにして地図の部分を裁断し、ポケットサイズ(86ページ)の地図に製本し直したと連絡があった。1月に新年会を上野で行っていた時、山陽道の資料が非常に少ないので、困っているだろうとプレゼントしてくれた。早速この地図と山陽道四十八次を見比べた。この地図では下関~京都間の山陽道五十六次であり、中国新聞社発行の本は下関~大阪間の山陽道四十八次となっている。この大橋さんの地図がなければ、「山陽道四十八次」の挿絵をコピーし、張り合わせて地図を作り、挿絵とグーグルナビを使って、計画表を作ろうと思った。しかし大橋さんからプレゼントされた地図を見て、歩いて旅をすることに自信が持てた。この地図に記してある旧跡・名跡・神社をスマホのナビに入力して行程計画を作った。大橋さんに改めて感謝申し上げたい。

 このような経緯で古代山陽道にならって下関~京都の山陽道・西国街道で、下関から京都に上洛するというルートで行くことに決めた。

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                      山陽道・西国街道行程表(下関―京都)

415日㈯ 一日目 下関ドーミーインプレミアム下関 出発7時

亀山八幡宮山陽道石碑⇒壇之浦古戦場高杉晋作回天義挙の碑長府駅小月駅高杉晋作東光記念館長慶寺厚狭市41.3km 宿泊先 

エクストールイン山陽小野田厚狭駅前  

416日㈰ 二日目 出発6時

逢坂観音堂⇒岡崎八幡宮⇒周防下郷駅⇒四辻駅⇒大村益次郎墓⇒佐波川大橋⇒宮市宿(防府市) 宿泊先 HOTEL AZ 山口防府店

417日㈪ 三日目 出発6

佐波神社⇒富海宿富海駅椿峠⇒福川本陣跡⇒山崎八幡宮⇒孝女阿米像⇒富田宿39km   宿泊先 サンホテル下松

418日㈫ 四日目  出発6

久保市公園⇒勝間駅⇒米川駅⇒周防高森駅⇒欽明寺⇒新岩国駅⇒御庄宿(岩国市)38.3km  宿泊先 末岡旅館

419日㈬ 五日目 出発6:00

吉田松陰東遊記記念館長州の役戦跡碑玖波駅大野浦駅廿日市駅古江駅広島宿 45.2km 宿泊先リーガロイヤルホテル広島           

420日㈭ 六日目  出発6

海田脇本陣⇒安芸中野駅⇒瀬野駅⇒八本松駅⇒西条駅⇒西条宿40.5km  宿泊先  東横イン東広島駅前  

421日㈮ 七日目 出発6:00

仁賀ダム展望台⇒賀茂川荘⇒安芸高木山城跡⇒本郷駅⇒三原城址⇒三原宿36.8km  宿泊先  三原ステーションホテル(田部井さん合流)

422日㈯ 八日目  出発6

尾道駅⇒防地峠⇒今津本陣跡⇒備後赤坂駅⇒大渡橋⇒神辺駅⇒井原駅着⇒井原市40.4km  宿泊地  ビジネスホテル歴城荘(田部井さん合流)

423日㈰ 九日目  出発7

旧山陽道⇒日芳橋⇒旧山陽道堀越宿跡⇒矢掛本陣⇒下道氏案内板⇒吉備寺⇒静音駅⇒倉敷市35.3km 宿泊地  倉敷アパホテル倉敷駅前(田部井さん合流)

424日㈪    十日目  出発6:00 

高松城址跡⇒備前一宮駅⇒岡山後楽園⇒東岡山駅⇒香登駅⇒備前長船刀剣博⇒ 岡山宿39.5km  宿泊地  常磐旅館

425日㈫ 十一日目  出発7

片上八幡神社⇒廣高下公民館⇒三石駅⇒有年峠⇒大避神社⇒有年駅⇒相生市38.1km  宿泊地  東横イン相生駅新幹線口

426日㈬ 十二日目  出発6:00

正条宿道標⇒太子町牛飼⇒夢前橋⇒播磨高岡駅前⇒姫路城⇒御着城址⇒加古川橋⇒加古川宿43.0km  宿泊地  ビジネス宿泊穴田荘

427日㈭ 十三日目  出発6

土山駅⇒光明寺⇒史跡敦盛塚⇒一ノ谷戦の濱碑⇒監物太郎の碑⇒海軍練所⇒明石宿39.7 km  宿泊地 ホテルヴィアマーレ神戸

428日㈮ 十四日目  出発5

住吉駅⇒西宮神社⇒甲武橋⇒昆陽寺⇒伝和泉式部の墓⇒桜井駅⇒菅谷三平旧邸⇒郡山宿本陣⇒継体天皇陵高槻⇒郡山宿50km  宿泊地 高槻サンホテル(松本さん合流)

429日㈯ 十五日目  出発8

一乗寺⇒離宮八幡宮⇒正覚寺⇒淀城跡⇒寺田屋跡⇒伏見稲荷⇒京都国立博物館⇒三条大橋30km(⇒京都駅1600)

帰宅予定:京都駅発ひかり65816:33⇒東京駅着19:12⇒東京駅発19:28⇒小山駅着20:09⇒タクシー約40

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前日 414日㈮、自宅を610分に出て、水戸線新治駅発629分、東京駅発83分、新大阪行の8号車に乗った。座席は約半分が埋まっており、ほとんどが外国人観光客、マスクをしているのは2割程度だった。新大阪駅到着後、博多駅行こだま849号に乗り換えると、座席は約60%強が埋まり、半数が外国人だった。コロナが落ち着いて、58日に2類から5に移行するとの報道から観光客、特にインバウンドが戻ってきたようだ。下関行の山陽新幹線に乗り、新下関駅で下車し、山陽本線下関駅に到着したのは1543分だった。

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早速、下関のオービジョン海峡ゆめ広場に向い、海峡ゆめタワーに行き、チケットを買い、エレベーターで展望台に上った。小雨が降っていたが、九州の小倉城、下関国際ターミナル、宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘で有名な巌流島(船島)など下関海峡が一望できた。明日、下関を出発すると、すぐに通る壇ノ浦の古戦場や赤間神社を見ることが出来る。


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今夜の宿はドーミーインプレミアム下関だ。チェックインしてから下関駅に行き、地元でとれる地魚の刺身定食を頂いた。明日の天気予報をチェックしたが、一日中雨が降りそうだ。明日は山陽小野田市厚狭駅近くのビジネスホテルまで、42kmの道のりだ。雨合羽を確認して9時に就寝。

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