その他

茨城経協11-5月号 トップインタビュー(2)

坂寄 ご自宅の方はどんなだったでしょうか。

高橋 会社から数分のところにある自宅へは18時ころ帰りました。ガラス類のほとんどが割れて、台所は足の踏み場もないほどだったとは家内の話で、先に帰った子供たちが片付けと掃除を済ませていました。幸い屋根と外部の壁に損傷はありませんでした。周辺ではブロック塀が倒れ、屋根瓦が破損している家が多数ありました。

 

復旧対策本部立ち上げ

坂寄 帰社する車の中での1時間をどのように過ごされたのですか。

高橋 こちらの状況を報告するために、ずうっと携帯電話でお客様と連絡を取り続けました。もちろんつながらないことの方が多かったのですが、ようやく兵庫県の川崎重工さんと話すことができました。電話はすぐ切れてしまうので、一方通行でしたが、メールに切り替えてお客様へ状況を説明し「応援に来てほしい」とお願いしました。KYB(カヤバ工業)さんとも電話がつながりまして「応援依頼」を直接いたしました。

停電していた電気が夜11時ころ回復したので、会社に戻って工場の中を見回りながら復旧の手順を考えました。300台超の機械のうち230~240台の水平出しが急務であると判断しました。3~4人がチームを組んで、1日3台が限度として80日かかる計算になります。水平出しに必須な「水準器」が当社には2台しかありませんので、この作業を自前で進める限り40日かかります。なんとか1週間で復旧するため20個以上の水準器を集め、1日60人超の応援体制をいかに組むかが課題だと思いました。

12()、13()は出勤してきた社員と各持ち場で散乱した工場内の後片付けをしました。専務と復旧計画を調整し、私の常駐場所を「現場事務所」にしました。この両日とも私は応援をお願いするために、恥も外聞もなくお客様、取引先、機械メーカー、機械商社に連絡を取り続けました。

茨城経協11-5月号 トップインタビュー(1)

茨城県経営者協会の加藤部長からインタビューの依頼があった。インタビューの内容は①今回の大地震、リーマンショックなどの逆境から立ち直るための心構えやポイント②今回の大地震での復旧に関わる他社(協力会社など)からの支援の状況、ありがたみ③経営に関する思い④会員企業に対する復旧に向けてのメッセージなどで、インタビューアーはキヤノンのOBでこれまで会員企業の経営者にインタビューを数多くされている坂寄氏が行うとのことでした。

 

 4月25日、当社の第一会議室で午後3時から5時の予定で行った。インタビューアーの坂寄氏、経営者協会の加藤さん、生井さん、後藤さんも同席し、和やかな雰囲気の中で行われた。経営者協会の月刊会報誌5月号のトップインタビュー記事として掲載された。この内容を社長ブログに載せることにした。

 

 

東日本巨大地震に遭遇

坂寄 未曽有の災害をもたらした3・11地震の時はどちらにお出ででしたか。

高橋 栃木県小山市にあるコマツ小山工場の会議室で、15時からの打ち合わせを待っていました。地震の多い茨城県に長年住んでいますので、すぐおさまるだろうと思っていましたが、この時はだんだん横揺れが激しくなり、急いで太い柱の元にしゃがみこみました。5分もたったでしょうか、少し揺れが収まってきたとき階段を駆け下りて表へ出ました。この時は怖かったですね。友人の車に乗りこんでテレビをつけて巨大地震であること、大津波の警報が出ていることを知りました。会社に電話してもつながらないし、家族や東京に住んでいる両親、娘への電話もつながらない。

 1時間ほどして小山工場の退避命令が解除されたので、自分の車に乗り込み会社に向かいました。国道50号線は停電のため信号機が消えており、大渋滞でした。それでも農道や裏道を走って1時間20分で会社へつきました。車中で専務・総務部長と携帯電話がつながり、人的被害はなかったこと、建物の被害は軽微だが、機械の横ずれが激しいとの報告を受け、16時全員を帰宅させたこと、翌土曜日は自宅の状況を見て出勤できる人は会社に出てほしいと全員に話したことを知りました。

 17時20分頃会社について、そのまま工場に行ってみると機械のずれがはっきりわかり、周囲の棚が倒れていました。2階の事務所では机や椅子が倒れ、パソコンが床に滑り落ち、天井のボードが剥がれ落ち、まさに足の踏み場がありませんでした。余震はなお続いていました。

 

読売新聞掲載

 7月27日(月)付読売新聞の7ページに【中小エクセレントカンパニー】という表題の記事に当社が 紹介されました。7月初め頃電話で取材の申し込みがありました。記者の方によると常陽銀行で情報を得て取材対象会社にピックアップされたそうです。10日(金)10時に来社され、最初当社の会社概要を10分位パワーポイントで説明し、創業時から現在に至るまでのことを熱心に質問されました。私にとって一般紙の取材は初めてなので、記者さんが理解しやすいように出来るだけ専門用語や業界用語は使わないで、質問に答えるようにしました。勉強熱心な方で事前に協立製作所のホームページをチェックし、我々の業界の事情を理解した上で記事にしようとしていました。約1時間半質問が終了し、1時間程工場見学を行いました。見学終了後1時間くらい最近の世相の意見交換を行い、私にとっても有意義な時間を過ごしました。

最初、20日(月)に掲載されるとのことでしたが、数日前に27日(月)に変更になると連絡がありました。読売新聞茨城版に記事が掲載されると思っていたのですが、全国版に載っていましたので、いろいろな方からお電話を頂戴しました。東京に住んでいる会長に連絡したところ「記事は見逃してしまったが、何年も前に協立本社を退社した人が協立製作所の記事を見て、懐かしくなって電話をしてきた」とのことでした。私も25年前に大変お世話になったお客様から電話を頂戴し、近況報告や励ましの言葉を頂きました。

【中小エクセレントカンパニー】をキーワードに記事を書かれていましたので、私にとっては恥ずかしいものでした。なぜかというとエクセレントカンパニーは総合力の優れた企業に使われる言葉です。まだ当社にはふさわしくありません。しかし私は常々社員に「中小企業から中堅企業に脱皮しよう」とか「中堅企業にふさわしい仕事のやり方に変えていこう」と話しています。将来真にエクセレントカンパニーと呼ばれる会社を目指して頑張って行きたいと思います。

 

 

 

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『常陽地域研究センター』取材原稿

 4月17日に常陽地域研究センターによる取材がありました。6月号に掲載予定ですので、その原稿を掲載させて頂きます。常陽地域研究センターとは通称「常陽アーク」と云い、常陽銀行のシンクタンクで産・学・官から10名程の運営委員を選任し、テーマに対して意見を交換します。そして常陽アークの研究員がその内容を調査研究し、毎月冊子として発行し、常陽銀行の取引先に配布しています。運営委員の任期は年で、私は10年前から委嘱され、今日まで続けています。 

製品割合は建設機械にしようされる油圧機器・油圧部品で約9割                            当社は、創業当時は切削工具の研削加工専門で行っていましたが、油圧機器メーカーとの取引が始まり、油圧機器部品の研削加工の比重が次第に増えてきました。業務拡大のため茨城工場を設立し、研削加工の前加工である機械加工(旋盤、フライスなど)を取り入れ、部品の一貫加工を手がけるようになり、規模も次第に大きくなっていきました。その後は機械加工・熱処理・研削加工の一貫加工部品で業務を拡大し、近年では自社で製作された部品を使用し、組立・性能検査・塗装を行うOEM製品(ピストンポンプ・バルブ)を開発してきました。当社の製品割合は、建設機械に使用される油圧機器で約9割になります。油圧機器は、建設機械・農業機械・射出成形機・工作機械など幅広い分野に使用される補機部品です。特に油圧ショベルのスプール(コントロールバルブに使用される部品)のシェアは国内で約6割、世界で約4割となっています。バブル崩壊前は大手企業との取引では、お客様と競合している企業との取引は敵対的行為であるかのごとく思われ易いので、注意深くお客様を選んでいました。しかし、バブル崩壊後の大不況で系列関係や下請け関係が希薄になってきたので、既存のお客様の競合企業との取引を積極的に進め、不況を乗り越えていきました。結果としてお客様の数も増えていきました。

19号ブログ写真.jpgグループ会社について                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       特殊工程である熱処理加工は外注で行なっていますが、納期の混乱要因になっていましたので、 1997年に熱処理工場を作り熱処理を内製化しました。その後、熱処理の技術向上と収益力を上げるため、協立製作所以外の企業との取引を行うことにしたので、分社独立を行い協立熱処理工業㈱を設立しました。多くの企業の熱処理認定工場となり、取引の幅が広がりました。                                 また、中国では1991年に取引先に先駆けて中国進出を果たし、上海協立機械部件有限公司を設立しました。現地の日系油圧機器メーカーとは人民元、アメリカの油圧機器メーカーとはドル、フランスの流体機器メーカーとはユーロ、そして日本の協立製作所とはドルで取引をしています。

世界同時不況の影響は大きかった                                                            当社は、直接輸出はないのですが、お客様の売上高に占める輸出割合が7割を超えていますので、今般の世界同時不況の影響を直接うけてしまいました。02年以降、建機メーカーは中国の需要をキャッチアップし、景気は上昇に向いました。その後世界の新興国の需要を取り込んだ建機メーカーは生産力の増強を図っていきました。当社はお客様の計画に基づき、毎年積極的に設備投資を実施してきました。しかし、毎年設備投資を行うことは経営のリスクが高まることを意味します。設備投資を行い企業規模が拡大するにつれ、人材教育が間に合わず、ムリやムダが目につくようになりました。変化のスピードが速く人が変化についていけないのです。しかし、このような不安定要因を持ちながらもお客様の要求を満足させるべく活動をしてきました。設備投資や人員を増やした結果、07年度の売上高は03年度比3.5倍に人員は3倍に拡大していきました。08年度の売上高は20%増の 60億円を計画していました。急成長をしている当社にとって計画通りに売上を達成できない窮地に追い込まれるという認識をいつも持っていました。                                      そんな中、08年8月に当社の子会社である上海協立機械部件有限公司の現地での受注が半分になったと報告を受けました。現地のお客様は日系の油圧機器メーカーで、日系の建機メーカーに油圧機器を供給しています。9月の受注も半分と報告を受け、何か異変が起きているのかと思いました。そして16日にリーマン・ブラザーズが破綻し、いわゆるリーマンショック後アメリカ発の金融危機が表面化しました。日本でも減産計画が発表され、生産調整に入ったことで、当社の月商は半分になりました。このような事態になると当社は窮地に追い込まれます。被害を最小限に止めるために10月初旬に幹部を集め、現状の状況説明を行い、かねてから準備していた対策の説明を行い、理解と協力を得られたので、計画に基づき即時に実施して行きました。                             現在でも在庫調整が続いていますので、月・金曜日を一時帰休日にして火曜日から木曜日の3日働いて金曜日から月曜日の4日を休む、「3勤4休」体制を続けています。苦しい経営を強いられていますが、中国の内需拡大政策により一部に明るい兆しが出てきています。しかし、中国だけでは世界の経済を牽引することは難しく、アメリカ経済が上向かないと中国も息切れしてしまいます。6月には在庫調整が落ち着くと予想していますが、受注の回復は下期以降になるのではないかと思っています。非建機の油圧機器を受注するため営業活動をしてきましたが、少しずつ引き合いが来るようになりました。

19号ブログ②.jpg合い言葉は、「中小から中堅へ」                                                                                                                                                                                                 当社では「中小企業から中堅企業へ」を合い言葉に、年間100億円の売上高を目指しています。会社が永続的に発展できる企業の仕組み作りが目的で必ずしも100億円が目的ではありませんが、「年間売上高100億円」が達成できれば、企業の仕組み作りも達成出来ると考えております。今後も試作から量産までのお手伝いを続けて、お客様満足度を高めていきたいと考えています。

リスク管理を徹底し、この不況下においても慣れない会社づくりを                                常に先を予測することが不況の波を乗り越えるためには必要なことであるということです。リスクを予知し、もし万が一のことが起こった時のために備えをしておく。そして実際に不況が来た時には迅速に対応策が実行出来るように、体制を整備しておかなければならないと思います。その体制とは  100億円企業を実現するための「仕組み」です。                                                               自分は2代目。「絶対に会社を潰さない」という気持ちを持って、「中小企業から中堅企業へ」体質改善を行い、全員のベクトルを合わせて実行していくことが、会社にとって大事なことだと考えています。 

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