山陽道・西国街道旅日記 十三日目(P69~70/P89)

289-1.jpgの命を受けて、勝鱗太郎(海舟)の指導のもと、明石藩が築造した砲台場。タオがんの淡路島にある徳島藩松帆台場と協力して、明石海峡を通過する外国船を挟み撃ちにしたと考えられたとのこと。左手にはJR神戸線の舞子駅が見える。明石海峡大橋の下を通り、兵庫県立舞子公園の真ん中を進んで行く。


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この舞子駅は何度か利用し、左手に見える「シーサイドホテル舞子ビラ神戸」でお客様の生産説明会・懇談会を行った。懐かしい思い出だ。海岸沿いの舞子公園は松林が整備されリゾート地の趣がある。ここに来る観光客はこの道が西国街道だと気が付く人は少ないのではないかと思う。


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山陽垂水駅を通り越すとすぐに海神社(わたつみじんじゃ)が目に入った。海神社は「綿津見神社」とも表記され、「かいじんじゃ」とも読まれる。社伝によると、神功皇后が三韓征伐からの帰途、当地の海上で暴風雨が起こって舟が進めなくなったため、皇后が綿津見三神を祀ると暴風雨が治まり、その縁でこの地に綿津見三神を祀る社殿を建てたのが始まりと云う。「日本書紀」に記される広田神社・生田神社・永田神社・住吉大社創建の記述とほぼ同様であるが、「日本書紀」には当箇所の神社の記述はないという。

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福田川を渡り、JR塩谷駅を過ぎ、JR神戸線の塩屋跨線橋を渡り着いたのは1時40分だった。この辺りは源平一の谷合戦場として知られ、寿永3(1184)27日に、当時16歳の平敦盛が、熊谷次郎直実によって首を討たれ、それを供養するためにこの塔を建立したという伝承から「敦盛塚」と呼ばれるようになったという。

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この五輪塔は花崗岩製の総高4mで、中世の五輪塔としては石清水八幡宮五輪塔(京都府八幡市)に次ぎ、全国で2位の規模を誇るという。このほか、鎌倉幕府の執権北条貞時が平家一門の冥福を祈って、弘安年間(1278~1288) に造立したなど諸説があるという。

一の谷の戦いで源義経の逆落としの奇襲で平家を破ったのは有名だが、裏の崖は断崖というほどではなく、本で読んだイメージとはだいぶ違う。また海がこれほど近くに迫っているとは思わなかった。現場を見ると、より想像力が働くのではないか。いつか平家物語や吾妻鏡を読み直してみたいと思う。見学後、遅い昼食をとることにした。幸い敦盛塚の入り口にある敦盛そば屋に入り、蕎麦とそばの実が入ったぜんざいを注文した。蕎麦も美味しかったが、疲れた体にぜんざいは美味しかった。30分で昼食を終わらせ、出発した。ここは須磨浦公園の端にあり、400mほど進むと細長い公園の終わりに「源平史跡 戦の濱」の石碑があった。

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15分程進むと左手に「村上帝社の祠」があった。村上天皇の琵琶にまつわる伝説から、この地に村上天皇を祀り神社としたもので、この地には以前から前方向円墳があり、琵琶に      似ていることから琵琶伝説に結び付いたと云われている。琵琶伝説とは平安末期、太政大臣藤原師長は琵琶の名人であったが、さら奥義を極めたいと入唐の志を持ってこの地に来た。ところが村上天皇と梨壺女御の神霊が現れ琵琶の妙手を授けたので、入唐を思いとどまり帰京したと云われている。見学を終えて、2号線(西国街道)を進み、千守の交差点を左に曲がり、すぐにY字路を右に進むと、2号線と分かれ、西国街道に出る。整備された西国街道は歩きやすい。

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