東海道五十三次旅日記(14)

東海道五十三次旅日記
東海道14-1.JPG

6日目(4/30)金曜日 岡部宿出発

4時起床。6時半に食堂に行き、朝食を食べる。今日の日程は旅館を7時半に出発し、藤枝宿、島田宿、金谷宿、日坂宿を通って、掛川宿の東海道本線掛川駅近くの「スマイルホテル掛川」まで、409時間の予定だ。5日間の経験から1時間5kmで計算し、昼食と休憩で1時間をプラスするので、40㎞の場合出発時間に1時間を加えて、9時間見れば十分だ。15分ほど歩いて仮宿交差点を通り過ぎ、しばらくして旧街道に入るため、左折した。するとだんだん住宅街に入っていき、同じ所をぐるぐる回っている。ナビを見ても方向がつかめない。1時間ほど回り道をして国道1号線に出ることが出来た。藤枝宿の町に入り、ナビとガイド本の絵地図を見ながら、目印の藤枝市外れの勝草橋を渡り、道順に間違いがないか出来るだけ忠実に旧街道を歩いた。国道1号線の青木交差点を通っていくと、藤枝駅が近い。雨が降ってきたので、傘をさして線路沿いを1時間以上歩き、島田市に入った。島田市の御仮屋町の道標があり、国道1号線日本橋から208kmと記されていた。

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いよいよ大井川を渡るぞと意気込んだが、道を間違えて、住宅街に入ってしまった。方向感覚もくるってしまい、1時間は無駄な距離を歩いてしまった。ようやく大井川の橋の入口に着いた。大井川の川幅は大変広く、橋を渡りきるのに16分かかった。水量は少なかったが、大雨が降ると何日も足止めになり、逗留したという。江戸時代、大雨が降ったら「箱根8里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川------」という俗謡がある。この大きな川が氾濫したら、何がどうあっても川を渡ることはできないと云う意味が良くわかった。便利に新幹線に乗っている時は、この大井川を渡る事の大変さも分からず、数秒で通り過ぎるので、川幅には気が付かなかった。大井川を渡って金谷宿に向かった。金谷宿は大井川の川越しと金谷の急坂に挟まれた宿で、広重は五十三次の浮世絵で金谷宿の大井川の徒歩渡しを描いている。大井川鉄道金谷駅の下にある一里塚を過ぎてガードをくぐって坂道を上り、金谷の石畳を目指した。「金谷宿の石畳」は江戸時代幕府が近郷集落の助郷に命じ、東海道金谷宿と日坂宿との間にある金谷峠の坂道を旅人達が歩き易いように山石を敷き並べたものであると云われている。近年、僅か30mを残す以外は全てコンクリートなどで舗装されていたが、平成3年、町民約600名の参加を得て実施された「平成の道普請」で延長430mが復元されたと云う。石畳の登り430mの勾配は箱根越えに優るとも劣らなかった。ゆっくりと足元を確認しながら登った。登り切った時の爽快感と安堵感は言葉に表すことが出来ない。その時、子供を連れて散歩していた若い夫婦が、私のリュックを背負った格好を見てだと思うが、「どちらから来たのですか」と話しかけてきた。

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