東北関東大地震(11)   

18日金曜日6時起床。テレビでニュースを見ながら、食事。いつもの時間に出社。ガソリンが入らなくて困っていると言う声が多くあった。会社の近くにあるスタンドもローリーが入ると長い行列が出来てしまい、給油するのに2~3時間かかってしまうとのことだった。

 

14日から来ていただいた都筑製作所チームが所定の水平出しを終了させ、帰社した。 支援してくださった亀岩さん5名の方ありがとうございました。応援を決めていただいた小野社長、御配慮ありがとうございました。

 

この日はほとんどの応援チームが我々の工場を離れていった。オークマの方6名と荒川重量の方3名が残り、19日も引き続き残りのFMSラインのM/Cとスタッカークレーン(自動倉庫)の復旧に努めていた。19日土曜日、対策本部員は全員出社しオークマと荒川重量の作業を見守った。私はネットで福島原発復旧作業の情報を収集していた。計画停電が実施され今を乗り切ったとしても、基本的に電力が足りない。東京電力が2基の火力発電所を再稼働させたと云うニュースがはいったが、夏に向けての需要には到底足りない。現在でもピーク時の電力は3,400kwの能力ギリギリだと言う。夏のピーク時の需用電力は6,000kwだという。火力発電所は100~200kwでは歯が立たない。しかし今は福島原発のメルトダウンの可能性をゼロにし、放射能事故を最小限に抑えることが最重要だ。

 

20日日曜日、皆に休むように伝えたので、今日は私と海老原課長の2人が出社した。 オークマと荒川重量がFMSラインの調整を行ったが、この日には終了せず、翌日の21日まで掛かって終了した。オークマさん、荒川さんありがとう。

あと残っているのはFMSラインの自動倉庫を修理する西部電機が22日に部品を持ってきて終了となる。

 

23日朝、災害対策本部を解散した。皆さんの応援を得て予定より早く復旧出来たと思っている。日本の製造業の底力を垣間見た思いだった。

 

 

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