東北関東大地震(2)

私は片づけが終わっていない二階の寝室に行った。本棚が倒れて、ガラスと本がベッドの上に散乱していたので、寝る場所を確保するために後片付けをした。掃除を手伝っていた娘が、夫は海外出張で小山市の自宅が留守になっている。心配だと言うので、家族全員で車に乗り小山市に向かった。停電の中、暗く寒い家にいるより、車の中の暖房が良いと思った。又、食事の用意が出来ないので、小山市まで行けば何か食べることが出来るだろうと思った。小山市に向かうときには国道50号線は渋滞が予想されたので、裏道を通っていった。

 

この頃既に各々のガソリンスタンド前に20~30台の車の行列が出来ていた。私の車には3/4位のガソリンが入っていたので給油しなかった。40分ほどで娘の家に着いた。家の中の被害はほとんどなかったので、火気のチェック済ませ一緒に自宅に帰ることになった。途中、食事が出来る可能性の高い国道50号線を下っていったが、何もなかった。結城市に入った時に吉野家の牛丼店が開いていた。数人の人が並んでいたが、車を止めて店に行った。私達の前で「売り切れました」と店の人が大きな声で話しているのを、耳にしたとき急にお腹が空いてきた。それまでは空腹は感じていなかったが、食べられると期待が大きかったので、ガッカリした。

 

気を取り直して車を走らせていくと普段見慣れたファーストフード店やレストラン、コンビには皆閉まっていた。鬼怒川の橋を渡り終わり川島に入ると、すきやの牛丼店の看板の明かりが見えた。やはり数人の人達が店に入っていた。息子がお土産用の牛丼を買いに行ったが、ご飯がなくなってしまったので牛皿しか買えなかった。車の中で食べた温かい牛皿は美味しかった。

 

筑西市に入るころ大渋滞。1時間経ってもぜんぜん動かない。水戸線をまたいでいる陸橋が地震の被害で通行止めになった。通行止めのたて看板が眼に入った。迂回路に誘導されたが、狭い道では大型車がすれ違うことが出来ずますます渋滞した。ようやく車が順調に流れた頃、開いているコンビニを発見した。食料の類はほとんど売り切れだが、わずかに残ったパンを買うことが出来た。

 

家に帰る前、念のため工場に立ち寄って状況を確認しに行った。大分手前から会社の周辺で電気の明かりが見えた。既に当社の電気関係を管理している為貝電気が変電設備の点検をしていた。急いで家に帰り、電気が復帰したことを確認し暖房を入れた。23時を回っていた。余震が続いていたが、明日からの復旧作業のために休もうと思い、午前0時眠りについた。長い1日だった。

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