『高収益トップ3%倶楽部』勉強会

 3月9日、『高収益トップ3%倶楽部』勉強会に初めて参加しました。東京国際フォーラムの会議室で行われたのですが、内部は非常に広い空間があり要所に喫茶店やレストランがさりげなく配置されていて、さすが国際フォーラムと名前をつけるだけのことがあると思いました。

 19年前、私はこの近くにある大手の商社を何度か訪問していました。懐かしくもあり、また東京国際フォーラム建設前の取り壊しの様子や建設現場を見ながら通っていたのを思い出しました。当時(1989年)中国の上海に会社を作ろうと思い、紹介して頂いたのが共産主義国を専門に取り扱う大手の商社でした。そこで、上海に会社を作るための方法や設立後の輸入業務・輸送・通関など今まで体験したことがない仕事を行いました。上海設立の経緯は別な機会に機会にお話したいと思います。

 東京国際フォーラムG610の会議室で18:30から約2時間、終了後に懇親会を行い、名刺交換や意見交換を行いました。出席者はおよそ80名で若い方が多く、私は年長者の5人の中に入ると思いながら講義を受けました。主催は㈱日本経営教育研究所で、石原社長から勉強会の主旨説明がありました。9年前から毎月1回東京・名古屋・大阪で開催し、初期のころは4~5名のこともあったが、少人数であるがゆえに充実した勉強会ができたなどのお話がありました。現在は盛況に勉強会を続けていました。継続は力なりですネ。

 石原先生は徹底して売れる仕組みは、ビジネスモデル70+マーケティング30が機能した状態であり、「起業する」と「企業を経営する」は別の次元であると力説されていました。一人当たりの収益力が高い会社は組織化が難しく、その逆の場合は組織化が容易である等々。

 協立の場合は、昭和28年に先代の社長が起業し、切削工具や油圧部品の研磨加工で卓越した技術を商品とし、お客様が仕事を持って来て下さいました。零細企業でしたから名人が優れた職人でしたので、高い収益力を得ていました。私は昭和49年東京から茨城工場に赴任し、5年程過ぎて思った事は、職人を育てることの難しさと長い時間が必要であることを考えると東京本社のビジネスモデルでは難しいと思い、コンピュータ付工作機械を導入し、作業を標準化して誰が作業しても精度の高い製品が出来るようにビジネスモデルを転換していきました。当時はマーケティングという手法は知りませんでしたが、お客様からお客様を紹介して頂くということで拡大していきました。現在は、油圧ショベルをコントロールするバルブの部品でスプールは世界シェアの45%を得ることが出来ました。この加工技術を基本にスプールと油圧ピストンポンプ・専用油圧バルブのOEM商品を三本柱にビジネスモデルを転換しました。私は37年間の協立での体験と16年間の社長としての経営体験を振り返りながら聞いていました。私はこのような勉強会は考えを明確に整理するためにも大変良いものと思っています。

 続いて専属コンサルタントの平居先生から企業の組織化についての講演がありました。平居先生は島津製作に技術者として入社され分析器などの開発を手懸けられ、様々な体験の後に子会社の社長になり見事に赤字会社を収益力の高い会社へと変革させた経歴の持ち主で、経営改善の事例を豊富な経験を基にお話頂きました。私と同じ共通体験をしていると感じ、交流会で貴重な意見交換ができました。平居先生ありがとうございました。

㈱日本経営教育研究所 石原社長の勉強会は、こちら から

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