茨城経協11-5月号 トップインタビュー(6)

坂寄 社長の協立製作所歴はいつからですか。

高橋 私は日本大学理工学部で精密機械工学を学び、卒業後2年間は他社で修業を積みました。父とは在学中、地方に工場を建設することを条件に「会社の跡を継ぐ」と言いました。東京での製造業は将来性がなく、私が協立製作所に入っても活躍する場がないと思ったからです。父の出身地が桜川市(旧岩瀬町)でしたので、私が大学3年(1970年)の時茨城工場を開設してここへ進出してきました。私が協立製作所へ入社したのは24歳、1974年でした。最初の5年間は製造現場でフライス盤や旋盤を使って切削作業等に従事し、その後コンピューターで制御するNC旋盤やマシニングセンターを駆使して工程設計、ツーリング設計、プログラム作成、段取り作業、加工作業、検査を行ってきました。その合間に工場経理を勉強し、見積もりを覚え、営業をしながら、将来の協立製作所をどの方向に向けるか悩み考えてきました。現場中心に仕事をしながら20年が過ぎ、その間経営管理を行い、経営戦略を練ってきました。43歳で社長になり、山あり谷ありの18年が過ぎて行きました。私には過去に5度の不況を乗り切った体験があり、そのたびごとに優秀なスタッフがサポートしてくれ、感謝しています。

坂寄 お訪ねしてまず目についたのが社屋の壁にプリントされた社章でした。すっきりした印象的な社章ですね。

高橋 これは1993年に2階建の事務棟(2F)とスプール専用工場(1F)を建てたときに、知人にお願いしてデザインしてもらったのですが、「協立」のKRに地球儀を乗せたものです。建機需要は今後世界的な伸びが期待でき、我々も地球規模で貢献できるとの意気込みを示しています。

坂寄 経営のポイントはどこに置きますか。

高橋 「挑戦と創造」をコンセプトに、「他社よりも優れた品質・コスト・納期で適格にお客様に対応して信頼性の高い会社」をめざして頑張っているところです。お客様に信頼される会社であると同時に課題解決ができる会社作りを目指しています。

 

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