中山道六十九次旅日記

中山道六十九次旅日記(2)(2022年4月9日~4月22日)

まえがき

2021471歳の時、東海道五十三次を日本橋から京都三条大橋まで1213日の日程で歩いて旧街道を旅した。三条大橋に到着した時の充実感・達成感は脳に焼き付いている。旅日記をまとめ終わり、翌年も歩いて旅をしたい思いに駆られ、京都までの旅程で東海道と対をなす中山道に決めた。中山道はもともと古代・中世の東山道を受け継ぐ道だったが、関ヶ原の戦いの翌年、慶長6(1601)から7年かけ、江戸幕府によって、五街道の一つとして大きく整備された街道だ。

中山道は日本橋から武州、上州、信濃、木曽、美濃、近江を得て京都三条大橋約534kmで、東海道よりも約40km長い道程だ。現在の都道府県で云うと東京都(日本橋)、埼玉県、群馬県、長野県、岐阜県、滋賀県、京都府(三条大橋)になる。中山道は東海道に比べ、山岳地帯を進むため難所も多く、冬は雪に見舞われる過酷な道だという。しかし東海道よりも川の障害がすくないのが利点で、特に女性は中山道を利用することが多かったというが、東海道の難所箱根の標高は約850mに対して、中山道の最初の難所は碓氷峠1200m、第二の難所は1600mの和田峠。そして7つの峠があるといわれている木曽路は、女性にとって大変な道程と言わざるを得ない。江戸時代の1日に歩く距離は男性で10(40km)、女性で8(32km)と記されている。中山道は京都から日本橋に向かうときは、下諏訪から和田峠に登る方が急斜面で最大の難所になる。逆に碓氷峠は下りになるので、足場が悪いことを除けば、楽な道程だ。日本橋から京都に向かうときは、その反対で碓氷峠が最大の難関で、和田峠越えは頂上までは比較的緩やかな登坂で、下諏訪までが急な下り坂になるが、標高1600mに変わりはない。中山道は江戸時代の遺構や街並みが多く残っているといわれているので、その情景を思い描きながら歩こうと思う。大変だが、楽しい旅になるだろう。

中山道六十九次旅-まえがき4.jpgのサムネール画像

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